雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

"御用学者"高村昇先生の講演

1203高村昇教授

放射能講演会みたいなのをやるってんで、いってきました。正直なところ、こう言うのに出席しても、びっくりするような新しい知識が得られるわけでなく、あんまり楽しいわけでもないのだけど、せっかく村役場が帰ってきて、まずは講演会でも開こうというので、サクラでもいいやと行ってみました。あんまり積極的じゃないノリで書いてますが、高村昇さんって、山下俊一さんと一緒に御用学者の筆頭に並んでるんですね。大喜びで後援会に行ったなんて書くと、ぼくも安全厨とかエア御用とかいわれるんだろうなとびびっている小心者です。

この先生、最初に「ぼくも生まれて初めて御用学者と言われました」と自己紹介した。調べたら、呼ばれただけじゃなくて、告発されているらしい。

当初は、どいつもこいつもうそつきばっかりで、国と仲良しのやつの言うことは信じられない、と思ったものだけど、そうとばっかりも言っていられなくなった。いや、国と仲良しのやつの言うことは信用できない、というのは基本的には変わんないけど、国と仲が悪い人の言うことはすべて正しいということもないはずなんだけど、そのあたりが、今の世の中はよくわからない。

感情論でいえば、お国(とか行政とかお役所とか、まぁ、体制側、というやつ)はろくなことをしなかったと思う。そして今も、迅速に誠実にできているかというと、はなはだ疑問だ。これに対して反体制派は(と、ひとくくりにするのもよろしくないのだけど)エジプトの革命とか、海外の威勢のいいのを見せられていて、次はおれたちの番だと鼻息が荒いのかもしれないけど、なんにしても、個々の事象を検証しないで十把一からげにOKだったりNGだと決めるのは、一応総玉砕の時代の発想となにも変わっていないと思うのだ。

ということで、この高村昇という先生、巷では同じ長崎大学の山下俊一という先生が(御用学者としても)有名だが、こちらはずいぶんお若い。そしてこういうのは、きっとショウユ顔のイケメンというのだろう。でもイケメンかどうかは、この場合どうでもいいのだ。

それにしても、放射能講習会の類いは、いつでも放射能と放射線、放射性物質とはなにか、みたいな解説から始まる。もう知ってるっちゅうにと思うけれど、わかってない人が多いのかもしれないし、もしかするとぼくなんかも、わかってるつもりになっててからだで理解してない部分があるのかもしれない。次にくるのが自然放射線の話だ。インドとかイランで、とんでもない放射線値が記録されている場所がある、というお話。これもどっちかというと聞き飽きた。でも、世界にはいろんなところがあるんだなぁという点では、何度聞いても新鮮だ。そして日本にも、自然放射線はうようよしているということ。人間の身体にもカリウム40なる放射性物質は含まれていると。もちろん空気や大地や食べ物や、ありとあらゆるものに存在している。まぁこれも、周知の事実だ。

ただカリウム40については、原発由来の放射能を語る時には話から除外されているから、そんなものがあるということは忘れてしまっている人も多いんじゃないかと思う。だからほんのちょっと人体からセシウムが出たとなると命にかかわる大事件として騒ぎ立てることになっちゃうが、カリウム40は人体から常に(たぶん何億年も前から)何千ベクレルも出ているのに対し、放射性セシウムは最大でも人体まるごとからせいぜい1000ベクレルくらいで、事故から1年経った今は多い人手何百ベクレルくらいという数字になっている(らしい)。

単位をまちがえてびっくりしたり(7Sv/hだとたいしたことないように思えて、70000μSv/hといわれるとすごい数字だと思ってしまう。7Sv/h浴びると即死。70000μSv/hなら、とりあえずすぐには絶対死なない)、今漂っているのが全部原発由来の放射性物質だと思って、ちょっとでも放射性物質にぶつかると恐怖におののいたりする。最近じゃ、ヨウ素131が出たと大騒ぎしている人たちがいたけれど(ヨウ素はついさっき核反応したときに出るものだから、こんなのが出たということは、またまた原子炉が爆発したんじゃないか、ということになる)、これは鉛212というそのへんによくある放射性物質とまちがえちゃったというのが真相らしい。世の中には放射能がいっぱいあるという覚悟で臨めば、あわてるときにももうちょっと周囲が見渡せると思うのだけど。

すいません。こういう話は高村先生の講話の中にはなかった。ぼくの聞きかじりです。先生からもらった資料の中でおもしろかったのは、火星で3年間暮らしたらどれくらい被爆をするか、月だとどれくらいか、その場合、遮蔽された環境にいたらどうか、なんてデータがあることだった。そんなの示されてもちっとも安心にはつながらないと思うし、先生もわざわざそのデータは読み上げなかったけど、学者の先生というのは、いろんなことを考えているもんです。

この先生は、長崎で生まれて長崎の大学に通った。長崎大学ってのは、爆心地のすぐ近くに建てられた学校で、若いとはいえ、長崎原発は避けて通れない。原爆は一瞬でたくさんの人を殺したけれど、あれは強い放射線による殺人だった。原爆はピカドンといった瞬間からキノコ雲がもくもくと上昇していくけど(見たことはないけど)、放射性物質はあのキノコ雲に含まれていて、地上にはあんまり落ちてこなかった(ぜんぜん落ちなかったわけじゃない)。原発の事故は、いきなり死ぬほどの強い放射線はないけど、爆発してそのへんの空にばらまかれた放射性物質が雨に運ばれてそのへん(東京とか静岡あたりまでも含む)に落ちたから、原発と今回の事故をいっしょに考えるのは無理がある、というお話だった。

先生によると、1シーベルト浴びると遺伝子がちょんぎれちゃうんだそうだ。1シーベルトなんて、たいてい浴びない。でも何ヶ月か前に、ひょっこりうちの村に現れた東大病院のお医者さんは、自分はカテーテル手術で放射線を浴びながら手術している、その線量は1日で何シーベルトになることもある、という身の上話をしてくれた。患者は手術中だけだけど、お医者さんは次々に手術に立ち会ったりするから、なかなかの被曝量になるんだね。たいへんなお仕事だ。

で、1シーベルト浴びて切れた遺伝子は、たいていの場合、数時間で修復する、らしい。人間だけじゃなくて馬にも牛にも、高等動物にはこういう機能が備わっていて、壊れた遺伝子を自分でなおすんだそうだ。そして遺伝子は、たいていの場合、きちんと修復する。でも世の中にはまちがいということがあって、ときどきなおらない。おかしな遺伝子が現れる。おかしな遺伝子は、人間におかしな作用をすることもある。癌細胞を作ったりって話になるんだけど、でも壊れた遺伝子は、生命力も失っていて、人間に悪さをする前に絶命してしまうことも多いんだという。だから遺伝子が壊れることで、なにかの影響が出るのは、ずいぶんと確率が低い話だ。

そんな中でも、分裂が盛んな若い細胞は、放射性に対する感受性が高い。受精したばっかりの卵もそうだし、大人より子どもの方があぶないというのはそういうことだ。そして意外や、髪の毛というのは細胞分裂が盛んな臓器らしい。だから放射能の影響ではげちゃうんだそうだ。へー。

と、こんなふうに概論をしゃべってるうちは、先生はきはきとお話になるんだが「うちのイワナは大丈夫け?」「キノコはいつから食べられるべー?」という質問になると、うーむになってしまうのだ。わかんないんだよね。そんなの。だれにもわからないと思う。先生曰くは「測ってみないとわからない」。

結局、わかんない、ということなのね、と講話を聞いていたおばちゃんは、少しがっかりしたようにつぶやいた。「川内村のキノコは絶対安全です」と言ってくれれば、それはそれで少し安心になる。「キノコ食べたら即死します。絶対食べないでください」と言われれば、それはそれで方針が決まる。でもどっちでもないから、始末に困る。

「キノコ好きだったら、孫にはやらず、年寄りだけでこっそりおいしく食べちゃえばいいじゃない」

と、ぼくはアドバイスしてみるのだけど、どうもぼくのアドバイスは冗談にしか聞こえないみたいで、みんな「いやー」と不安そうな顔をする。キノコ、1日に2kgも3kgも食べたらどうだかわかんないけど、そんな食べ方はしないでしょ。そういいつつ、ぼくの冷蔵庫には、1200ベクレル/kgのイノシシの肉が入っている。食べるのがこわいというか、わざわざ食べてみようという気にならないだけだけれども、やっぱり意気地がないんじゃないかと言われれば、弁解の余地もない。
 質問をしてみた。川内村の人は、これから先、100人に5人くらいは癌になったりすると思う。それは統計上、ふつうの数字なんだけど、癌になった時、あー、川内村に住んでたからなぁと思ってしまう気持ちには、フタができないと思う。そういう将来への不安に対して、どうすればいいのだ、と。

答えはありませんでした。むずかしいですねー、みたいな。むずかしいのだ。そして先生は「できることは、情報を出し続けて、観測を続けることだ」とおっしゃった。そう言われてもあんまり安心にはつながらないんだけど、でも観測して情報を出すお仕事、国や行政はしっかりやってほしいもんだと思う。

村には、学校や集会所など、公的スペースを中心に、モニタリングポストが設置された。太陽電池で、ずっと放射線値を計測している。文科省のサイトを見ると、すべてのモニタリングポストの数値を閲覧もできる。1年遅いぞという気はするけど、やらないよりはずっといい。

モニタリングポストは除染したところばかりにおいてあるから信用できないという反体制派のご意見も聞くけれども、うちの集会所より5倍も高い数字を示しているモニタリングポストが郡山駅前に立ってるし、全体的には情報操作なんかしてるヒマはないと思われる。公共の施設は実験として早く除染が始まったから、よそより線量が低いのはまぁあってしかるべきことだ(逆に除染したのにうんと高かったら、夢もチボウもない)。

そんなこんなで、高村昇という先生が御用学者かどうかは、お話を聞く限りでは特定できなかった。ぼくはこの人を告発しようとは思わない。放射能被害は、どうなるかわからない、という現在のデータをきちんと広めてくれればそれでいいと思う。なにがなんでも「放射能はほんのちょっとでもすげー危険」と思いたい人も多いと思うのだけど、ぼくはそうは思わない。でもだからといって、放射能をばらまいた社会的国際的罪は、これっぽっちも酌量されることはないはずだから。

1203モニタリングポスト

ところでね、こんなふうに、将来病気になった時に、川内村に住んで損しちゃったなと思う人、必ず出ると思う。だから村には住まないことにしようという意見があるのもわかるけど、今の数値を見る限り、川内村で住めなかったら日本の1/3くらいは住まない方がいい地域ってことになっちゃったりしないだろうか。

いえいえ、だから住むしかないだろうとまるめる気はない。被曝保険って作ったらどうかなと思ったの。因果関係がわからないだろう低線量被曝を受けた人が、将来病気になった時は、保険がおりる。病気をなおしたりはできないだろうけど、金で解決することはできるかもしれない。被曝保険は、村に住む人にみんなかけられる。掛け金はお国が全額出してくれればいいと思うけど、いくらか補助が出るでもたいしたものだ。そしたら、病気のことは保険にまかせて、病気になるまで楽しく暮らそうと開き直れる人が、村にやって来るかもしれないなぁと思ったりした。

保険会社の人、これを見ていたら、ぜひ商品化して、厚労省とか復興庁とかの大臣に掛け合ってください。お願いします。