雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

原発事故の思い出[震度6]

地震があった時は、その週末に全日本選手権の開幕戦があるので、その取材の準備をしていた。午前中には、確か中学校の卒業式が執り行われていた。

2011年3月11日地震直後

その地震までの数日、何度か地震があったのだけど、それは覚えてない。地震が怖くてしかたがない人もいるのだろうけど、ぼくはそうではないみたい。ぐらぐらくるのはそりゃこわくないといえばこわいのだけど、それでまだ死んだこともないし、家が壊れたりした経験もないからかもしれない。

でもたいていの地震は、ちょっとがまんすればおさまってしまうものだった。ところがあの時の地震は、どんどん揺れがひどくなってきた。まず机からコップが落ちたので、そのコップを拾おうとしたら、薪ストーブにかけていたやかんが落っこちた。そのあたりから先は、落ちたりしたものをいちいち拾っている場合ではなくなった。

自分の家はトタン屋根だったかな、瓦屋根だったかなと考えた。トタン屋根を乗っけただけの安普請なのは重々承知だったのだけど、そのときは思い出せなくて、瓦だったら重たいからつぶれてしまうからなぁ、この揺れだったら、つぶれるだろうなぁと思いつつ、外へ出たら落ちてきた瓦の直撃を受けるから、中にいたほうがいいのかなぁ、などと考えて、結局なにも動けず、揺れにまかせておたおたしていた。

同じように揺れる中で平然としていた飼いウサギが、ストーブの横に積んであった薪に寄っていくのが見えた。薪は崩れてくるから、やつは下敷きになるだろうけど、助けている場合じゃないから、ほうっておいた。

長かったなぁ。2分くらい揺れていたらしい。でも実感としては5分くらい揺れていた気がする。やがて揺れはおさまって、外へ出ると、うちは安作りのトタン屋根だった。家の中ではほとんどあらゆるものが床に散乱していたけど、幸い、高価な損害はなかった。余震も心配だったけど、近所の様子を見に行ってみた。

瓦屋根のおうちは、けっこうな勢いで瓦が落ちていた。午前中に卒業式に出席していた区長が、早々と地区を回って被害状況を確認していた。瓦が自家用車を直撃してたケースもあって、たまたま実家にきたらこんな目にあっちゃった、わたし、悪くないですよね、と泣きべそをかいている娘さんもいた。

ぼく自身としては、かつて経験したことがない大揺れの地震だった。新潟や神戸は経験したことがないからわからない。震度は6強とか7とかもいわれていたけど、その後、うちのあたりの震度は、6弱ということになった。それでも、うちのあたりの被害はこの程度だった。震度6というのもたいしたことはないなと思ったけど、それは阿武隈山系という土地柄に助けられていた。阿武隈山系は、とにかく地盤がかたい。のち、避難をしてきた富岡など浜に住む人が、余震で揺れるたび、揺れ方がちがう、こっちの揺れ方はかちっとしていると驚いていたものだった。

震度6、それほど恐るるに足らずという思いは、その後の人生の安心感がなんとなく増したように思う。ぼくの場合は、だけど。