雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

田口ランディさんと川内村自由大学

1309第二原発とRANDY

 小説家の田口ランディさんが、研究会の仲間を連れてやってきた。2泊3日の川内村訪問。ただの訪問ではない。それは、川内村自由大学という。主催はランディさん、命名もランディさん。この人はこんなふうに、人を巻き込んで振り回す。振り回される人にとっては、それがまた快感だったりするのでありました。


 ランディさんが初めて村にやってきてくれたのは、震災があったその年の冬だった。まだ誰もいない廃虚になりかけていた村にやってきて、村にいたみんなとお話していってくれた。
 ぼくとランディは30年来のたまたまの知り合いで、昔っからことあるごとに説教されていたんだけど、そのときもぼくは説教されたもんだった。
「あんた、せっかくこんなところに住んでるんだから、なにもしないなんてもったいない。そうね、原発事故資料館なんかやってみたらいいじゃないの」
 ランディのそういう提案に、まぁそういうのはそれまでも考えないではなかったけど、なんせ並べるものがないと思った。溶けた燃料でも飾れればかっこはつくかもしれないけど、そんなものを並べたら見に来た人がみんな死んじゃう。という感じで首をひねっていると
「なんでもいいんだよ。どんなつまんないものでもいいからさ」
 とおっしゃる。それでいいんなら、じゃ、やって見るかと始めたのが「感がえる知ろう館」だった。資料館なんておこがましいから、ここでみんなで考えてなにかを知れる場所になればいいなと思って、ついでに川内村のシンボルのカエルを引っかけた命名です。
 んで、知ろう館をオープンするときに、今は南三陸に行ってしまった河北新報の中島記者がけっこう熱心に取材してくれて(というより、まだですか、オープンはまだですか、とせっつかれた。ぐずぐずしているぼくの尻をひっぱたいてくれたから、できたようなもんです)言い出しっぺのランディさんのコメントがほしいというので紹介してあげたら、そのときに彼女が口走ったのが、川内村自由大学ってやつだった。
 感がえる知ろう館についての記事が河北新報にのったときには、語感がいい川内村自由大学の名前もいっしょに紹介されていた。
 ランディは東京でダイアローグ研究会というのをやっている。結論を出すのが目的でなく、まずは対話が大事だというスタンスの研究会で、そこで震災前からテーマになっていたのが、原子力発電所だった。
 今回やってきてくれた仲間は、基本的にはこの研究会に集っている人たちだった。ランディは去年も研究会の仲間を連れて村にやってきてくれたけれど、今年は河北新報に宣言しちゃった通り、晴れて「川内村自由大学」という名前でやってきた。
 
<つづく>
写真は、富岡町の海岸線の、津波で舗装表面がはがされた道路を歩くランディさん。うしろは福島第二原発。