雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

自由大学放課後。ハッピーさんと会う

1309川内村自由大学汐見台

 翌朝、みんなは郡山駅へ向かい、そこで自由大学は解散となった。田口ランディは、そこで人と会うという。それが、Twitterで情報発信をする原発作業員のハッピーさんだというので、ぼくもいっしょに会わせていただくことにした。


 田口ランディとハッピーさんが、辻仁成さんを通じて出会ったというのは、ぼくもTwitterを斜め読みして知っていたけれど、実物にお会いできるとは思わなかった。ハッピーさんが誰であるかは極秘事項で、ばれないように細心の注意を払っているそうなんだけど、そういう心配があったらぼくだったらいっさいの情報発信ができなくなると思うんだけど、ハッピーさんはイチエフ(現場の人は、福島第一発電所のことを1Fという。フクイチという人も多いけど、これは東京電力が民間向けとして、なんとなくオブラートに包んだ呼称だと理解している)のいろいろを、日々伝えてきてくれる。ありがたい。
 ハッピーさんに直接聞いたことは、なにが個人を特定させてしまうかわからないので、なにも書かないでおきます。でも、もう親しい友人だと思っていたランディとハッピーさんが、実は今日が2度目の出会いだったのはびっくりだった。前回会った時にはランディが酔っ払っていたとのことで、ハッピーさんはようやくシラフランディと話ができたことを喜んでいた。
 ハッピーさんは近く本を出すとのことで、ハッピーさんと別れてすぐAmazonで検索したら、すでに予約を受け付けていたのでさっそく予約しておいた。Twitterでは、ハッピーさんが東電の情報操作係の人間であるとか、そもそも福島にはいないんだとか、いろいろいう人がいる。けけどそういう反応を含めて、今のインターネット時代はおもしろいと思う。
 そういう情報網で話題になっていたことがあったので、ちょっと聞いてみた。事故当時の東電の重役たちが今どうしているのか、という質問だ。したら、わからないとの答えだった。ネットではみんながみんな、海外に逃亡したって書いていますけどね、どうなんでしょうねと。知らないことを知ってるように話されるのは困るけど、ハッピーさんのように、目の前の事実だけをたんたんと発信してくれる人は貴重だ。
 亡くなった吉田所長の話もしてもらった。吉田さんはヘビースモーカーだったらしくて、自分もタバコが大好きだったのだけど、事故発生直後の頃、タバコを買いにいけないみんなのために「みんなで吸ってくれ」という貼り紙とともに自分のストックのタバコを休憩室に置いといてくれたという。怒るとおっかない人だったということだったけれど、そこで働くみんなからは(東電の人も関連企業の人も日雇いの人もいたはずだ)信頼されていたんだろう。対してなんとかという副社長は、お前らの代わりはいくらでもいると怒鳴りつけることがあったそうで、あれは最低なやつ、という評価だった。
 みんなと別れて、ぼくはローカル線に乗って帰る。短い旅のお供に、吉田所長のドキュメンタリーを買って、ハッピーさんとの出会いと吉田所長に、心ばかりの感謝を送りつつ帰ることにしたのだった。
*ハッピーさんは当然顔出しが厳禁なので、写真はない。かわりに、その前の日、自由大学のみんなとでかけた、川内村の丘の上から見た福島第一原発の1号機から4号機までの現在の姿をお見せしました。事故以来、何ヶ月かに1回定点観測をすると、確実にその形が変わってきている。13km地点からでは重要なところは何も見えないかもしれないけど、監視の意味、あるいは祈りや見守る意味も含めて、ときどき見に来なければと思っている。
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