雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

川内村自由大学 稲葉くんの被曝

1309自由大学の高野先生

千翁川にて岩に乗ってほくほくの高野先生と、左の方で妙に楽しそうな稲葉くん

自由大学のみんなが帰って、濃ゆい夏が終わったという感じ。さて、みんなが帰ってすぐ、東大病院で心臓外科医をやっている稲葉俊郎さんからメールをいただいた。放射線被ばくについての補習みたいなもんだ。

稲葉くんは、さるたいへん高貴なお方が心臓を手術されたときのチームにも参加していたというし、初めて村にきた時は国会の事故調の命を受けてきていたから、くん、なんて呼んじゃいけない、立派な稲葉先生なんだけど、川で遊んでいる姿を見てると、先生の敬称で呼ぶのが失礼に思えてきたんで、稲葉くんでいきます。

稲葉くんは専門が心臓だから、カテーテル手術なんかもやる。この時、稲葉くんが浴びる放射線量は多い時には1日で2SVにもなるんだそうだ。この話をしても、誰も信用してくれなくてぼくがほらを吹いているような言われ方をされた。そう言って稲葉くんに泣きついたら、この図を送ってきてくれた。

1310稲葉くんの被曝表

文字が読めるかどうか微妙だけど(画像だけ開けばもう少しだけ大きくなります)、カテーテル手術を何時間もしたら、確かに何Svかの放射線を浴びる計算になる。みんなにほら吹き呼ばわりされたのは、人間は7Svを浴びると生きていられないというお約束があるからで、だから放射線管理が厳しい病院の手術室で、そんな致死量の数分の一ほどの大量被曝が許されるわけがないというのが、ぼくをいじめるみなさんのご意見だ。数量的に考えれば、7Svと2Svでは、死なないまでも半殺しくらいの目にあっていてもおかしくない。

ただ放射線は、一度に浴びるのとじわじわ浴びるのでは、悪さの仕方がぜんぜんちがう。7Svで即死は瞬間に浴びた場合で、瞬間とはだいたい数秒と考えていいということだった。3時間で2Sv浴びるということは1時間で666mSVになるけれども、3秒で7Svなら840万mSv/hとなり、まるで桁のちがう話になる。

手術をする医者のためにも患者のためにも、だいたい2Gyくらいの被曝量になると、その手術を続けないで中止にしたりすることもあるんだそうだ。だからけっこうな被曝量ということになるんだけど、それでも被曝しながら治療を受けたほうがメリットがあると判断されるから、医療現場で放射線が使われている。

ぼくが不思議なのは、ぼくのことをほら吹き呼ばわりする人は、たいてい学歴があって知識のある人たちだ。本来なら無知なぼくらを導いてくれるべき人も、想定外のことに対応できないのはいっしょなのかなぁと思ってしまう。

稲葉くんのように、日常放射線を扱っていて、それで患者さんがよくなっていくのを知っている人たち、あるいは稲葉くんほどではなくても、医療関係に従事している人たちは、現在の福島県の放射線被ばくをたいしたことはない、と言う。それがまた反感や不信感を持たれることにもなる。

こういうことを書くと決まって誤解されるのは、ぼくはある程度の被曝はへっちゃらなのではないかと思うけど、だからといって原発が許されるものではないと思っている。でも存在が許されないからといって、大丈夫なものも大丈夫でないと言ってしまうのは、あんまりでたらめがすぎるんじゃないかと思うわけだ。

その一方稲葉くんは、自由大学の対話集会の時、参加者の質問にこんな答えをした。

質問は、いま福島に残って住んでいる人と情報交換をすると、目がかゆかったり喉が痛かったりの症状が共通していることが多い。それは、被曝の症状なのかどうか、というものだった。

こういう質問は、この2年間にさまざまなところで発せられ、えらい先生たちが答えてきた。ぼくも、そのひとつふたつを聞いたことがある。えらい先生の返答は、被曝に悩む子羊たちに、ちゃんとした安心を与えてくれるものではない。たいていの先生は、放射能は無味無臭だから、感じることなんかない、あんたのそれは、気のせいだ、みたいな答えをしてしまう。

稲葉くんの答えはこうだった。放射能は無味無臭だし、これくらい(0.3μSV/hくらい?)の放射線量ではその量も微々たるもので、からだがそれを感知できるとは考えにくいけれど、人間の感覚はとてもすぐれているし、個人差もある。なので、ほんの少しの環境の変化に気がつく人がいても、ありえないことではないかもしれない、と。

質問の主が、稲葉くんのこの答えで納得したか安心したかはわからない。でも少なくともぼくは、稲葉くんのこの答えは、いままでで初めて、質問をした人の気持ちに応える返答だったんじゃないかなと思ったのだった。

ぼくは放射能ストレスをあんまり受けずにすんでいる個体だと思っている。人によっては、たいへんなストレスを受けながら暮らしている人も多い。それでも、威勢のいい親しかった人が自殺してしまうという現実をつきつけられたりもしたし、関西以西に出かけると、なんだかほっとする自分を感じたりもする。それは、そこに放射能がないからなのかもしれないけれど、やっぱりぼくの中にも、気のせいってやつに支配されている部分は少なくないのだなぁと思い知るのだった。

そうそう。最近年取ったのと体重が増えたので、ひざがやばい状況になっている。こっそりオートバイで痛い思いもしているんだろうけど、このまんまだと歩けなくなりそうだから外科へ行ってヒアルロン酸とか注射してもらったんだけど(痛かった)、ヒアルロン酸というのは飲んだりしても効果がないんだそうだ。

ところがある日、ヒアルロン酸を含んでいるコンドロイチンがひざによいと言う話を聞いて、一瓶買ってきた。そしたら、なんだか調子がいいみたいなんだね。その話を稲葉くんにしたら「効いたんですか?」と首をかしげていた。お医者さん的にはありえない、という顔だったけど、その効かないはずの薬を飲んで痛みが減ったと喜んでいるのだから、病は気からという、昔っからのありがたいおことばが生きてくる。

そう思えば、放射能は怖くない、笑ってれば放射能は逃げていく、という物言いも、まんざらまちがっちゃいないのかもしれない。笑って元気な人、笑われずに沈んでいる人、それから気のせいで元気になった人、気のせいでも鼻血を出している人。いろんな人がいる。大きな手術の前には何日も前から肉を断って成功に備えるという稲葉くんは、困っている人に手を差し伸べられる医療でありたいと考えているんだそうだ。