雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

スペインにて

スペインへの通

10日お昼前、イタリアのアリタリヤ航空の飛行機で成田を出て、ローマ経由でマドリッドへ。成田からローマへいく飛行機は日本人だらけだったけど(圧倒的につがいの旅が多かった。新婚旅行という感じでもなし。日本人は裕福だなぁ)ローマ-マドリッドは日本人はぼく一人だった。こうなって、ようやく外国へ来た感じがしてくる。

会場のハラマサーキットへいく。高速道路を一つ行きすぎて、帰るのに一般道を通ってみたら、快適なダート。つい楽しくなって走っていたら、小石にフロントタイヤをヒットさせてしまった。そのあとハンドルに振動が出たのでチェックしたら、リムが曲がってホイールかバーがなくなっていた。もう遊ぶのはやめよう。しかもその後、このリムはエアもれが始まっているのが発覚して、会場へついての初仕事はレンタカーのタイヤ交換になった。

でハラマサーキット。ロードレースで有名なサーキットだけど、ゲートを入ると、けっこうな高級住宅街じゃないか。こんなところでけたたましいレースをやっているんだねぇ。高速道路の案内板には「RACE」と書いてあった。わかりやすい。でもぼくは、あまりに単刀直入なこの案内に、まさか「レース」という意味じゃないだろうと思って通過して、ダート道を走ることになっちゃったのだ。

ところがハラマサーキットは、会場じゃなかった。自然山通信にはハラマサーキットとなっているし、チャーリー・デマシューのイベント案内にもハラマになっていたから、信じて疑わなかったけど、サーキットにはだれもいない。あせりました。住所録ひっくり返したら藤波パパの携帯電話の番号で出てきたので、聞いてみる。藤波選手の電話にかけるのはなんとなく遠慮したのだけど、電話に出たのは貴久本人だった。「ハラマじゃないですよ。変わったんですよ」と道を教えられ、なんとか到着する。藤波選手の電話番号を知らないで自然山通信を信じてハラマサーキットへ行ってしまった人がいらっしゃったら、ごめんなさい。

でも、本当の会場へついてみたら、黒山チームもハラマサーキットへ行ったらしい。彼らはゲートのガードマンに教えてもらったそうだけど、ぼくはプレスパスを見せて入っちゃったから素通りだったのだ。黒山チームが知らないのだから、ぼくが知らなくてもしょうがないかと、少し納得しております。

世界選手権への道

現場へいく道は、こんな感じ。写真に撮ったらけっこう緑があって豊かな感じだけど、印象としてはなんとも荒涼とした月面のような世界が広がっている。どこかで見たことがあるなぁと思ったら、道が砂の道と高速道路というちがいはあれど、この景色はサハラ砂漠で見たんだった。アトラス山脈を越えた直後、本格的なサハラに入る前のアルジェリアの砂漠の景色は、ちょっとこんな感じでした。

ラ・カブレラという会場の街は、とても小さくてホテルがない。3軒ばかりあるホテルは主催者に全部押さえられていて「いっぱいよー」と言われて泊まれない。藤波(パパ)さんがホテルのリストを持っていたので片っ端からあたろうと思ったのだけど、住所を頼りにさがすには、このあたりの地形は漠然としすぎていて、途方に暮れる。と、目の前にツーリストインフォメーションを発見して、ほてるないですかと駆け込んでみた。こういうところに頼むと、しっかりした観光ホテルが用意されて高いんだろうなぁとも思ったけど、案の定、ひとつ紹介されたのは105ユーロ(12000円くらい?)で、こんなところには泊まれない。もうひとつは60ユーロで、安くはないけど、しょうがないかという感じ。

宿を確保してパドックに帰ったら、藤波(パパ)夫婦が宿をさがしている。去年ならフジガスモーターホームに寝泊まりしていたけど、今年はそういう体制ではなかったので、最後だけ居候するわけにもいかないということだ。勝負の世界は親子でも厳しいのだった。藤波さんはシレラさん(モンテッサの監督)に宿の手配をお願いしていたらしいのだけど、夕方になってシレラさんが持ってきたのは40kmマドリッド方面に戻った街のホテル。マドリッドまで60kmしかないのに、40kmはすごい。しかも藤波さんはクルマを持っていなくてスクーターしかない。こりゃだめだ。ぼくがインフォメーションで宿をとってきたと話したので、インフォメーションにも行ったらしいけど、インフォメーションちがい。藤波さんが行ったのは大会のインフォメーションで、ホテルと言った途端に「いっぱいよ」と断られたそうだ。お気の毒に。

ぼくのホテルは会場から20kmばかり北上したこれまた小さな観光地の街。街についてこのホテルはどこですかと散歩しているおっさんおばさんに聞いたら、クルマに乗ってきて案内してくれた。古いお城の門をくぐりぬけたり(車幅いっぱい)教習所のコースみたいな狭い街を抜けて、ついたホテルはこじんまりとかわいいところだった。

聞いてみると部屋はまだあるという。なんだ、シレラさんの宿さがしもあてにならない。藤波さんに教えてあげると、さっそく泊まることになって、もう一度会場まで行って、藤波さんたちを連れてきた。フロントのお兄ちゃん(というか、家族でやっている民宿って感じ)は英語をからきし理解せず、それでもなんとか「あとふたり来るから、一部屋用意しておいてね」と話したつもり。藤波さんはさすがにスペイン語がそれなりにわかるので、お兄ちゃんともそれなりに会話していて、くやしかった。まぁ、敵は7年もスペインをベースに悪戦苦闘しているのだから、くやしいけど、しょうがない。にしても、40を(はるかに)すぎて知らない外国語を覚えるというのは、やっぱりすごいなぁ。

ボウのベータ

というわけで、久しぶりにゆったりベッドに寝たら、まだ時差ぼけで、朝5時に目が覚めてしまってこんなものを書いています。
荒涼たる岩山をバックに一休みしているのはアントニオ・ボウの04ベータ。カラーリングとフェンダーだけの04モデルだろうけど、04カラーに乗っているのはボウとライア・サンツのふたりだけ。カベスタニーも健一も03カラーなのに、不思議です。