雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

ちんちん電車その1

 パスポートをとった。
 これまで持っていたパスポートは、10年パスポートができてすぐにとったものだったんだけど、あれから10年経ったんだなぁ。当時のぼくは、パリダカの取材なんかは一段落していたけど、僻地専門家(僻地のみなさん、ごめんなさい。具体的には、タンザニアとかブルンジとかグアテマラとかエクアドルとかそういう国々)だったから、10年パスポートにしたらページがあっという間になくなるぞと脅かされていたもんだ。


 アフリカの国々とかへいくと、まず行く前にビザで1ページ消費する。入国するときに、まずスタンプが捺される。それだけじゃなくて、村から村へ移動する時には、村にはいるたびに入国審査みたいなのが必要になって、1カ国を恥から端まで走ると、パスポートは数ページ消費されちゃうのだ。
 パリダカールラリーに取材を1回すると、ビザだけで5カ国くらい必要になるから、全部で10ページくらいは必要になる。アフリカ以外でも、ロシアもビザに1ページを使ってくれたし、ネパールも同じ。記念のスタンプ帳だと思うと楽しいけど、パスポートはノートにしては高価なものだから、むだに消費していくのはつらい。
 けど、結局ページは余った。ぼくの商売が僻地屋から自然山になって、渡航先がヨーロッパ中心になったからだ。EUになって、ヨーロッパではパスポートにスタンプを捺す習慣がなくなった。飛行機で入国した時以外は、ヨーロッパの国境はフリーパス。国境すらない場合もある。スタンプ帳としての仕事を奪われたパスポートは、これから文字通り、国境通過のチケットとして機能していくのかもしれない。そういえば、ぼくが申請に行った数日後には、ICパスポートの申請が始まった。なにが変わるのかよくわかんないけど、将来的にはパスポートもSUICAとかみたいにカードになって、国境で読み取り機にかざすだけで通過できるようになるのかもしれない。
 で、パスポートの申請だけど、ぼくのパスポートは1月に切れていたから、申請には住民票と戸籍謄本が必要だった。住民票は近くの区役所へ行けばもらえるんだけど、ぼくの戸籍は、ぼくがずっと育った世田谷区にある。戸籍謄本をもらうには、そこまででかけなけりゃいけないのだった。
 今はもうほとんど縁がない世田谷区役所に出向くには、三軒茶屋から松陰神社まで世田谷線に乗っていく必要がある。松陰神社ってのは、吉田松陰先生ゆかりの地、三軒茶屋は、ガスガス輸入元亜路欧本社のあるところだ。
 世田谷線は、ぼくは高校に通うのに乗ってたけど、当時の世田谷線は玉川線開業の頃の車両がまだ現役で、車体には木が多用されていた。発車のときには「ちんちん」と車掌が運転士に合図するクラシックなシステム。ちなみに玉川線ってのは二子玉川から渋谷まで、多摩川の砂利を運びだすために作られた線路で、国道246号線上を走る路面電車だった。交通渋滞の発生とともに60年代末期には廃線となったけど、三軒茶屋から下高井戸までは全線専用軌道だったんで、廃止にはならずに今もとことこと運行されている。途中、環状7号線と交差するんだけど、ここは環7の信号に合わせて、電車のほうが信号待ちをする。信号が青になると、人といっしょに電車が環7を渡っていく。東京都にあって、三丁目の夕日時代を、世田谷線はちょっとだけ味わさせてくれる。
 そんで三軒茶屋だが、三軒茶屋は、いまや若い妻夫木と柴崎がデートしたりするらしいおしゃれな街になった。それに合わせて世田谷線も車両が一新された。床は木製じゃないし車掌さんもいなくなった。ぼくなんかは、いっそ古いまんまの電車を使い続けていたほうが話題になったんじゃないかと思うんだけど、新しいのにしたほうが、世の中的には納得しやすいんでしょうね。
 この前世田谷線に乗ったのは、三軒茶屋で30年ぶりの小学校の同窓会をやった時だった。次はいつ乗るんだろう?
 ということで、写真は世田谷線。松陰神社駅にて。