雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

ベルドン・3日目&4日目その1

3日目は、とてもとても1日が長くて、日記を書いているひまもなかった。だからこれは、4日目が終わってからまとめて書いてます。3日目は、スタートの地点のディーニュからニース街道のサン・アンドレまで一気に走る。2年前は途中の町で一泊していたから、距離の長さもなかなか。今回は、そこにはお昼を食べるだけの立ち寄りだった。

「今日はセクションも厳しいなぁ」とマリオにこぼしたら「3日目はいつもそんなもんだというお答えだった。

3日目のスタート

ぼくらチーム日本人「七人のサムライ」のゼッケンは137番(茅沼兄さん)〜142番(ニシマキ)と143番(マリオ)。初日はゼッケン1番(マルク・コロメ)からスタートし、2日目はゼッケン40のブルーノ・カモッジ、3日目はゼッケン80のジェローム・ベチューンからスタートする。コースの長い3日目はぼくらのスタートは早い部類だったから、ラッキーだった。

茅沼兄さんは午前中だけ走って、予定通り午後はダイレクトに次の宿泊地に向かうことになった。お昼を食べたバレムという町からゴールのサン・アンドレまでは、舗装路を走るとたった13kmしかない。なのにコースは山の中をうねうねと50kmも走るのだ。午前中だけで、茅沼兄さんはおなかいっぱいという感じ。もともと初日から、セクションの多くを「5点ください」とお願いして走っていなかったから、厳しいのはあんまり変わんないみたい。

ベルドンでは、1日だけ休みがとれる「ジョーカー」というシステムがある。ジョーカーを使えばコンペティションから除外されないというシステムなんだけど、リザルト的には上位に入れるわけもないし、どういうシステムなんだかよくわかんない。でも一応ルールに準じてやるだけやってみようということで、2日目にジョーカーを使ってしまっていた茅沼兄さんは、この日は午前中だけ走って、午後はすべてセクション不通過ということにしようという作戦にした。そんな作戦を考えなくても「成績表には載らなくていいから明日も走りたい」といえば、それはそれでOKみたいなんだけど、茅沼さんたちは心配性なんで、こういう策を講じておいたほうがいい(2年前には、小林千春さんが初日と最終日だけ走っている)。

今日の給油は4回。満タンで3リットルくらい入るから、だいたい10リットルくらい燃料を使ったことになる。とてもとても長い日になった。午前と午後の持ち時間を足したら、9時間以上になった。舗装路はほとんどなく、自動車の走れる林道もあんまりない。ほとんど9時間の間、トライアルフィールドにいたわけだ。たいへんぜいたくな時間をすごさせてもらったけど、いささか疲れました。ぱさぱさに乾いた岩盤を思いきり登って、森の中をタイトターンの連続で降りてくる。登っているときには太ももがぱんぱんになってきて泣きそうになるし、下り坂では両手が悲鳴をあげる。でもそれが楽しくてきてるんだから、うきうきなのだ。

この日、ぼくらのホテルはサン・アンドレに移った。ホテルではステファン・ペテランセルやジル・ピカール、マルク・コロメ(スコルパ軍団)といっしょだった。ホテルのコンピュータでコロメがネットサーフィンをしていたので「今日はえらく長くてしんどかったよ」とお話すると「おらも疲れた」と答えてくれた。あんたほどのライダーがほんとに疲れたのかいなとも思ったけど、ぼくらよりうんと厳しいセクションを走っているし、そういえば2年前に野崎史くんが2日目のコースを走り終わって「しんどい」と言ってたことがあったから、ほんとにしんどかったのかもしれない。いずれにしても、元世界チャンピオンのコロメが疲れるコースを走れたということで、トーシロライダーとしてはちょっと満足なのである。

でもね、同じようなことをペテランセルに聞いてみた。そしたら「今日は長かったけど、まだまだ足りない」と言ってた。彼の1日ってのは砂漠を1000kmに渡って走るんだから、たかだか100kmのコースじゃ短いんでしょうね。

午後に入ってすぐ、茅沼完治さんが足が痛いので直接ゴールに向かうことになった。どこかの岩にヒットしたらしい。ちょうどそこではベン・ヘミングウェイ(2005年、ドギー・ランプキンのマインダーを務めていた)がセクションでクラッシュして、鼻を折るケガを負っていた。兄貴のダン・ヘミングウェイ(兄弟でベルドンに参戦している)がつきそって介抱していたけど、ヘミングウェイ兄弟も茅沼兄弟も手負いでお気の毒です。

ベンのケガは、翌日の4日目に本人に会ったけど、何針か縫った跡があったけど、包帯もせずに歩いてた。

「クラッシュしたときは鼻が曲がっちゃってたけど、ドクターがえいやとなおしてくれた。ただ、出血がひどくてまいった。痛くはないんだ。今は頭ががんがんしてるけどね」

とのことでした。赤マーカーセクションは、鼻を折るリスクのあるところを走っているということだ。見たところ、国際A級スーパークラスよりも、少し厳し目。しかしそんなところを、スコルパのベンジャマンはそれなりにそつなく走っている(もちろん減点は多い)。ベンジャマンはSSDTにも参戦しているけど、けっこううまいんだなぁとあらためて感心した。

2日目は、ぼくは斉藤さんに4点差をつけられていた。3日目も4点差。3日間を終わって、斉藤さんとは11点差になった(日々の減点を足し算すると計算が合わないような気がするけど、そういう細かいことはどうでもいい。あとでゆっくり計算しなおします)。斉藤さんはヘロヘロでお疲れなんだけど、足は出さない。その根性が、すごい。

セクションは、ぼくにとってもがんばればクリーンセクションばかりなんだけど、長いコースを走っているとそうもいかないのだ。今回もっとも腕の立つ並木さんが19点。マリオは9点でこの日4位につけた。マリオはブルークラスにエントリーしていたこともあるけど、グリーンで楽しく優勝争いをしたほうがいいと主旨替えをしたみたいだ。並木さんによると「ふだんはブルークラスくらいの練習をしてるんだけど、このイベントにでるならグリーンクラスがちょうどいい」とのこと。マリオはグリーンクラスで優勝したことがあるんだが、ヨーロッパ慣れのないふつうの日本人にとっては、グリーンクラスで優勝するのはけっこうたいへんそう。国内B級クラスのライダーは、ちょっと挑戦してみる価値はあるかと思います。

しかしそれでも、いくつかのセクションでは、マリオが1点着いたところをぼくがクリーンしていたりして、そういうのを目撃するととてもうれしい。簡単なセクションでも、ほんのちょっとした気持ちの持ち具合で足をついたりするところが、トライアルのおもしろいところだ。

この日のニシマキは、しかしとんとハンドリングが定まりませんでした。行きたくないほうにばっかりマシンが走っていく。斉藤さんとどたばた争いをしながらセクションを抜けていく。それでもなにかのまちがいで、ぼくがどたばた3点のところを齋藤さんがクリーンしたりするので、油断できない。ほんのちょっとのメンタルの問題だと思うんだけど、そのメンタルを支える体力やテクニックがぼくらには欠けているから、メンタル面の問題とわかっていても、どうにもならないんですね。くやしいけど、笑うしかない。

メンタルの話といえば、昼飯のときに、ヘミングウェイ兄弟とマリオとカタルニア(スペインの一部だけど、おれたちのことをスペイン人と言うなよと言ってた)からのライダーとわいわいお話しをしていて、ドギー・ランプキンの話になった。

ヘミングウェイ兄弟がドギーとゴルフに行きました。当然お遊びのゴルフだ。ゴルフはあんまりうまくないドギーに「リラックスしなさい、これはほんの遊びなんだから」とヘミングウェイがいっしょけんめいアドバイスするも、ドギーは目をつりあげてボールと対峙していたそうな。ぜんぜん笑わない。それを見てヘミングウェイは大笑い。ゴルフもトライアルも、ドギー・ランプキンはいつも変わらずというお話を聞けた、貴重な昼飯タイムでした。ベンが鼻を骨折したのは、その1時間後のことだった。

3日目がたいへんだったのは、ゴールしたあとにも続いた。ぼくらのクルマは、スタート地点のディーニュにある。ディーニュまで、主催者がバスを出してくれるんだけど、ぼくらがゴールした直後にバスが出てしまって、次は1時間30分後だという。マリオと相談して、ヒッチハイクすることにした。マリオの車と合わせて、全部で3台。茅沼兄さんとマリオと3人でヒッチハイクを企てる。

ようやく止まってくれたのはマルセイユに帰るという参加者だった。3人は乗れないので、ぼくと茅沼さんだけ荷室に潜り込んでディーニュへ(ひとりだけならヒッチハイクもやりやすいからとのこと。事実、マリオは直後に1台拾ったらしい)。4日目5日目はマルセイユから遠くなるんで、もう帰るということだ。5日間トライアルを完走しなくても、それなりの楽しみがあるわけだ。彼は06年型シェルコを持っていたが、タイヤはIRCだった。フランス人が日本製タイヤを使っていて、日本人がフランス製のミシュランを使っているのだから、おもしろいもんだ。その後気をつけてみてみたら、IRCタイヤはけっこうフランスライダーには人気みたい。日本人がミシュランを使い、フランス人が日本製タイヤを使うというところもおもしろい。

その彼は(ゼッケン207番だった。あとで名前を調べよう)ガスガス50ボーイを持っていて、子どもと遊んでいるらしい。うちの芙海も50ボーイのライダーだったってことで、共通項があった。やつはマルセイユから35kmくらいのところに住んでいるらしいけど、近所にでっかいパークがあって、1日中遊んでるから、今年になってタイヤも3セット目だという。息子は10歳らしいけど、子どもはすぐうまくなってびっくりするというところで意見が一致した。でもやつの息子にはよいコーチがいるらしい。「よいコーチはよい成長のためにとっても重要だよ」というのが彼のサゼスチョンでした。

という道中を経てホテルに預けた荷物と2台の車をピックアップして新しいホテルへ到着し、夜の10時に晩ご飯を食べたというわけでした。

ここまでが3日目。いやー、長い1日だった。

写真はサン・アンドレのスタート。ぼくのマシンが立て掛けてあるのは、前の晩に催されたスタジアムトライアルのセクション。トップライダーは山の中を一日中走ったあと、夜は夜でショーをやる。たいへんな重労働だ。左が七海さん、オレンジ色のウインドブレーカーが並木さん、その隣が齋藤さん。朝は寒いので、みんなウインドブレーカーを着てます。