雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

てっぽうに撃たれる?

水たまり

 この日記しか見ていない人には意味不明かと思うけれども、自然山通信2月号に「てっぽうに撃たれるなよ」と書いた。
 そしたら、それが一部で問題になったらしくて、たいへんもうしわけないことをしたと反省しています。
 それでといってはなんだけど、てっぽうに便乗して、いろいろ考えてみた。


「てっぽうに撃たれるな」というのは、Kさんのおことばだった。自然山通信には「どこの」ということも書いちゃったので、ほぼ個人は特定できる。個人情報の漏えいだったのかもしれない。すいません。自然山のNさんというだけで個人情報漏えいの罪に問われるようになったらやりにくいですねー。
 でも問題はそういうことじゃない。鉄砲を持つことを許されている人たちは、きちんと資格を持っていて、銃を持つための講習を受けていて、よもや人なんか撃つわけがない。それだのに「撃たれるな」と注意するというのはなにごとか。銃を持つ権利を有する人々を人殺し呼ばわりしてなるものか、というご説である。そのとおりである。
 でもKさんの論旨はそういうことじゃなかった。ぼくがそのへんを散歩するといえば、廃道やさびれた小径である。登山道でもないし、遊歩道でもないので、ほぼだれも通らない。爆音を立てて走るんだったら音でそれと気がつくけど、幸か不幸かぼくのTY-Sはうるさくない。背後を通過されても、郵便カブが通過したのとかんちがいするくらいだ。
 こんな感じなんで、Kさんは心配するのである。「そんな山の中をうろうろしてたら、おまえ、熊にだってまちがえられちゃうぞ。今年はいつもとちがってあったかいから、葉っぱも完全に落ちてない。葉っぱがちゃんと落ちきっていれば見通しも利くけど、葉っぱがあるとよく見えないから、熊にまちがえられて撃たれちゃったら、撃たれたおまえも痛いかもしれないけど、撃ったほうだってたいへんなんだからな、心してうろうろしろよ」と、こういうご説だったのだけど、おいしいところだけ抜きだして書いちゃったんで、ご迷惑をおかけしました。幸い、今のところ猟師さんにも熊さんにも出会ってはいません。
 確かに「てっぽうに撃たれるな」というのは、いかにも鉄砲撃ちが人を撃ちたがっているみたいで、人聞きが悪い。重ね重ね申しわけない。「てっぽうに撃たれるな」なんていうと、鉄砲撃ちのみなさんから「失礼なことを言うでない」と言われてもおかしくない。ぼくらだって「トライアルバイクにはねられるなよ」なんて言ってる人がいたら「ぼくらはそんな悪いやつらじゃないぞ」と言いたくなってしまう。
 と思ったのだが、もうちょっとよく考えてみるに「トライアルバイクにはねられるなよ」だとトライアルライダーの怒りを買いそうだけれど「クルマにはねられるなよ」といわれて、ドライバーが怒ることはあんまりない(ような気がする)。自動車の運転手は自分がひとをはねるなんてこれっぽっちも思っていないし、自動車が人をはねることがあったとしても、まるでひとごとだと思っている。そう思えるのも、自動車を運転する人が圧倒的に多いからで、仮に飲酒運転で人殺しをするような極悪ドライバーがいたところで、それは自動車の問題ではなく、ドライバーの問題だとみんなが判断できるくらい、自動車が根づいているってことだ。
 てっぽうもオートバイも、まだまだ世の中的にマイナーなもので、だから頑固なアレルギーが絶えないのではないかなぁ、と、てっぽうについて考えているうちに、人口の底辺が支える印象について横滑りしてみました。
(今自然山通信を読み直してみたら、てっぽうに撃たれるではなく、鉄砲撃ちに撃たれると書いてあった。これ、おんなじようだけど、ずいぶんニュアンスがちがうし、ここまで書いてきた大前提が崩れてしまう気もする。ということで、とりあえず原文には「てっぽうに撃たれる」と書いてあったことにして、話を締めくくらせていただきます。写真はてっぽうとはなんの関係もなく、どこで撮ったのか忘れちゃったけど、雨上がりの村の道)