大きな災害が相次いでいます。災害支援にトライアルは最適。しっかり腕を磨きましょう。

巨星、近藤博志さん、墜つ

近藤博志さんが亡くなられた。

今年の世界選手権日本大会のパドックで突然の発症、それから厳しい闘病をされたが、力尽きた。

ロードレースなどサーキットからレース活動を始め、鈴鹿での優勝経験もある。ヤマハがTYを発表してトライアルスクールを開催したときに「これはオレがチャンピオンになる競技だ」と確信してトライアルに転向。1974年の全日本チャンピオンとなる。

ヤマハからホンダに移籍、RSC(その後HRCに発展した)契約として1977、1978、1979と3年連続チャンピオンを獲得。二本ショックのTLの黄金時代を築いた。

1980年以降はアルミフレームのオリジナルマシン「エイリアン」を開発製作したり、サイクルワールドやひろしのといったショップ活動にも精力的に取り組んで、エトスデザインを興してモンテッサ、TRRS、テナシウォンの輸入販売もおこなった。全国のトライアル大会に試乗車を持ち込んでユーザーとの交流をはかるのにも熱心だったから、仲良しの方も多いのではないだろうか。

明るくかつ短気な巨星がまたひとり墜ちた。

もてぎの世界選手権パドックで。TRRSのボス、ジョルディ・タレスと

今年、2025年春、モーターサイクルショーで。近藤さん、森田通夫さん、トシ西山さん、自然山ニシマキ

四十雀トライアルで、エイリアンでのトライを披露する近藤さん

四十雀トライアルで着用したのはRSC時代のサロペットだった

群馬県のあんじゃねぇGOGOにて。スコルパSY250Fに乗る木村治男さんと

試乗会でのヒトコマ

テナシウォンを初めて日本に紹介したとき。マシンの仕上がりを熱心に語った