雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

高田島獅子

09獅子舞練習1

区長さんのお悩みが、ひとつ解決した。高田島の伝統芸術である獅子舞の、跡継ぎが決まったからだ。

獅子舞は、獅子のお面をかぶって、笛太鼓にあわせて踊るもので、これまでもトライアル大会の前夜祭などで披露されたものを見せてもらったことがよくある。でもそういうのはしょせん宴会の余興であって、文化心のないオートバイ野郎には、心に響くこともなくこれまですぎてしまっていた。でも地域が守る歴史的な獅子舞となると、だんだん見る目も変わってくるというものだ。

ここ川内村には、いくつかの集落があって、このあたりは高田島という。高田島という地名はもはやバス停くらいにしか残っていなくて、行政的には川内村第一区という。だいたい、地名は古くから使われているもののほうが味わいがあっていい。この点からいっても、市町村合併なんかはするもんじゃないですね。

さて獅子舞。川内村にもいくつかの集落があって、それぞれの獅子舞が保存されている。笛太鼓の調子もちがえば踊り方もちがうから、となりの集落の獅子舞をこっちに持ってきても、相容れない。あくまでも、その集落ごとに伝統を守っているのであった。

で高田島の獅子舞は、子ども3人が獅子を担当することになっている。3匹の獅子は、2匹が男で1匹が女だ。ストーリー的には、1匹の雌獅子を2匹の雄獅子が取り合うというもので、男の獅子には太郎と次郎という。見事花子のハートを射止めるのは太郎なんだけど、ストーリー自体はたぶんどこの獅子舞でもそんなにちがいがなくて、というか、アフリカで見せてもらった太鼓踊りも、やっぱりおんなじようなストーリーだった気がする。男と女の恋の物語は、世界中どこへ行っても変わりないのかもしれない。

09獅子舞練習2

で子ども3人。雌獅子といっても、これまでは伝統的に男の子が担当していた。イナカというところは、男の方がえらいことになっている。女は常に一歩引いている。こういうのを性差別だ、男尊女卑だとする向きもあるかもしれないけど、これについてはまたいずれ書きます。簡単にいうと、それは建前であって、ムラの男たちは、みんな女性たちに頭が上がらない。トカイの男の方が、この点ことばにださなくても、男尊女卑は根強い気がします。でもこの話は今回はここまでということで。

さて男の子。任期は6年。小学校3年生からはじめて、中学生まで獅子舞をやる。年2回、春と秋にお祭りがあって、踊りを奉納するから、最低12回のお務めがあるわけだ。小学校低学年のときに、一番背の低い男の子が雌獅子役になる。ところが子どもは成長するもので、中学3年生のときには、雌獅子が一番背が高いこともよくある。まぁいいってことよとみんなおおらかに見守っている。6年先のことを気にしながら小学生を選抜するなんて、どだい無理なのである。

獅子になるには、男の子であるのとともに、さらに条件があった。長男であること、である。つまり高田島では、6年に1回、小学3年生の長男が、晴れて獅子舞の獅子に命じられる名誉を受けるチャンスを与えられる。

名誉? めんどくせーだけじゃね? という現代っ子や近代のお父さんお母さんもいらっしゃる。文化の保存なんて、そうそう簡単じゃないから、獅子舞の子どもの家庭にも、少なからずの負担がある。大事な時期に、獅子踊りなんてさせてないで、勉強させておいた方がいいという人だって、もちろんいるんである。

しかして、昔はそうじゃなかった。高田島の小学校は、最盛期は生徒が200人もいた。この200人の中で、獅子を演ずることができるのはたった3人しかいない。100人にひとり半の名誉職なのである。誰でも彼でもがやりたがるから、長男に限定した。それでも、引く手あまたの大事なお仕事だったのだ。かつては。

今、めんどくせーかどうかはさておいたとしても、まず長男を3人、同じ学年からそろえるのはむずかしい。というか、子ども3人を同じ学年からというのだって、だんだん厳しくなっている。寒村の過疎化という問題かもしれない。もしかすると、それ以上に少子化の問題なのかもしれない。もうちょっとあっちこっち見回してみれば、天皇家の跡継ぎ問題だって、おんなじようなことになっている。どこでも、跡継ぎ問題はむずかしいのだ。

09獅子舞練習3

実は長男であること、というしばりは、前回の獅子からなくなっていた。きまりを撤廃したというか、伝統を続けるためには選択肢がなかった。三男でも四男でも、男の子が集まったのは幸いだった。

その3人獅子が引退して、今度はもうそろわなかった。それで、雌獅子は、晴れて女の子が担当するようになった。皇室に先んじて、女性が伝統文化に進出した。高田島に新聞や女性週刊誌やフライデーがあったら大騒ぎするかもしれないけど、なんとなく、自然に女性獅子が選ばれた感じだ(誰が獅子をやるかにあたっては、集落の親たちが集まって、いろいろ話し合いをした結果落ち着いた。みんなその結果を自然に受け止めている)。

決まったのが2月のはじめ。最初の晴れ舞台である春の奉納まで、あと少ししかない。突貫工事で技術を習得しなければいけない。長老たちが、子どもたちを相手に真剣にコーチングする。学校ではときどきあるかもしれないけど、50歳も年の離れた師弟関係なんて、日常的には早々あるもんじゃない。伝統文化ってのは、こういうものかもしれない。

驚いたことに、子どもたちがさっささっさと獅子になりきっていく。生まれる前からやっているムラのお祭りは、子どもたちの中にも、すでに潜在的に息づいていたのかもしれない。ついこの前まで、獅子舞の跡継ぎ問題で頭を抱えていた区長さんも、新しい獅子たちの急成長を目の当たりにして、びっくりしたり喜んだり、忙しい。

08春の獅子舞
これは先輩たちの獅子舞

この春は、新しいぴちぴちした獅子たちの、かわいい踊りが楽しめる。ムラの文化も、けっこう深い。こういう経験をすると、きっとこれから、余興で見せられる地域ダンスも、今までとはちがって見えてくるにちがいない。ムラで暮らすと、見えるものが広がっていく。

*去年の秋、先輩たちが諏訪神社に舞を奉納にいったときの様子を、たまたま目撃された方がいらっしゃったようです。その記事を見つけたので、トラックバックしてみました。

守矢神社記帳所(桔梗屋日記)東方諏訪旅行記2-9:諏訪大社秋宮と厭い川の翡翠

村のあの人やこの人の顔が、なんとなくうかがえる写真もありました。ちょっとうれしい。