雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

天山祭

0907天山祭の提灯

 川内村のご自慢は、草野心平。
 草野心平は、カエルの詩人として有名。川内村の名誉村民。川内村には草野心平が名誉村民となったのを機に建設された草野心平の天山文庫がある。
 そこでは、年に一度、天山祭というお祭りが催されているのだった。
 会費500円でなかなか豪勢なお昼が食べられるというので、行ってみました。


 オートバイの仲間に聞くと、草野心平という名前を知らない人がけっこういて、住民としてはちょっとがっかり。でもまぁ、ここへくるまではぼくも草野心平なる名前は、なんとなく詩人であるというくらいしか知らなかった。現場に来ないと、なかなか本当のところは見えないものだ(いいわけ)。
 村の人は、草野心平のことを心平先生という。その呼び方には、親しみがこめられている。心平先生が亡くなったのは1988年だったから、今35歳くらい以上の村人たちは、心平先生となんらかの接触があった人が多い。今40歳以上くらいの人なら、いっしょに酒を飲んだこともあるかもしれない。川内村にとって草野心平は、どうやらただのえらい詩人なのではないみたいで、だからこその親しみのこもった心平先生だ。
 川内村には、平伏沼という、モリアオガエルが産卵する沼がある。60年近くも昔、草野心平はモリアオガエルが見たくて、新聞に「モリアオガエルが見たい」と投稿した。それを見た川内のお寺の住職が、ならばわが村にやってこいと手紙を出した。すぐに飛んできたわけではなかったけれど、矢内俊晃という和尚さんが何度もご招待の手紙を出すにいたって、ついに草野心平は川内にやってきた。川内伝説によると、ふたりは出会うなり意気投合して、七日七晩酒を飲み続けたという。のち、和尚さんは「そんなに飲んでない」といいわけしているみたいだけど、仲良くなって、いっぱいお酒を飲んだのはまちがいないと思われる。
 そんなこんなで村人たちがそれぞれいろんなものを提供して、心平先生に書斎を提供した。書斎というより、こんな部屋でこんな庭を見ながらお酒を飲めたらさぞかし気分がいいだろうなぁと思えるつくりをしている。そして実際、心平先生はそうしていたんだと思う。この書斎が、天山文庫だ。
 今、心平先生の出身地のいわき市小川町には、心平先生にゆかりの記念館などが建てられている。でも心平先生の存命中は、草野心平といえば川内村だった。そして草野心平といえば、酒だったみたいだ。天山祭は、天山文庫落成以来、毎年開催されている。天山文庫の庭で、みんなで酒を飲むという集いだ。

0907天山祭の弁当

 この村には、いわながいる。ちょっと水がきれいだったらいわなくらいどこにでもいるかもしれないけど、心平先生がびっくり仰天したのは、この村ではいわなが田んぼの水路を泳いでいることだった。水がきれいすぎて、ドジョウが住めないくらいだという。
 天山祭は、受付で500円お支払いすると、こんなお弁当をいただける。全部この村でとれた食材ばっかり。豪華なり。しかも、酒だって飲み放題だ。
 しかし現実問題、酒飲んでクルマで帰るわけにはいかないので、最近はお酒の消費量が減った。正しい天山祭を体験するには、運転手を雇うか、お宿(村には2軒の旅館がある。2軒しかない)をとって歩いて天山文庫にやってくるかのどちらかがよろしいようだ。
 隣の席には、駐在さんや交通安全教会のお歴々もいらっしゃるから、ちょっと一杯だけというわけにもいくまい。ただし安全協会のお歴々は、歩いて帰れるのかお迎えが来るのか、みんな楽しげに飲んでらっしゃった。ちぇ。

0907天山祭の朗読

 写真は、心平先生の詩を朗読する草野心平記念文学館館長の粟津則雄さん。大きな心平先生の写真のうしろ側が、茅葺き屋根の天山文庫。囲炉裏に向かってあぐらをかけば、ここで酒を飲んで人生を楽しんだ心平先生の気持ちが、ほんの少しだけわかったような気になれる。友人だった川端康成や棟方志功の書もあるので、川内に来たときには、ぜひ寄ってみてください。できたら来年の天山祭りには(運転手用意して)お酒飲みにきてください。そしたら、一緒に飲みましょう。
 なんだか川内村ってば、楽しいことして遊んでるばっかりみたいだけど、それならそれでよいではありませんか。