雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

お葬式つづく

1102_Aさん家の玄関

 集落の名物男Aさんが亡くなった。脳溢血。まだ61歳だった。まだまだ早い。
 村に来て3年。お葬式は日常茶飯事になった。人は必ず死んでいくものだけど、サーキットで取材する商売から足を洗ってしばらく、知人や顔見知りの不幸に出会うこともめっきり少なくなっていたから、村でのこのイベントつづきは、ちょっとびっくりです。


 顔を出すこともあるし、失礼させていただくこともあるけど、少なくともいっしょにお酒を飲んだことがある人だったら、最後のごあいさつにいきたいと思う。何人かのひとを、そうやって見送った。旅立った人にとって、ぼくはまだ新参者だから、ぼくがあいさつにでかけたても、草葉の陰で誰だっけと首をかしげているかもしれないけど、ごあいさつだからそれでいいのだと思う。
 亡くなった方が80歳を越えていたら、お疲れさまでした、と頭を下げられる。不幸は不幸だけど、これでふつうだ。でも50代や60代、あるいはそれより若い人が亡くなったら、悲しみも大きい。まだまだやれたのに。まだまだやってもらいたかったのに。悲しいも悲しいけど、残念、という気持ちも大きい。それでも焼香をしにいくと、そこにはいくらかの笑い声も聞こえる。泣いたって悲しがったって、死んだ人は帰ってこないから、笑える話ができるのだったら、笑ったほうがいいんだろうと思う。
 Aさんは、お肉が大好きだった。というか「おれは肉しか食わない」と宣言していた。肉ばっかりで健康を害さないのかなとちょっと心配もしたけど、パワフルな人だったから、食べた肉をエネルギーに変えてるんだろうなと納得していた。
 でも、実は高血圧だった。集落には、高血圧のひとは少なくない。食卓におじゃまして家庭料理をつまませてもらうと、たいていのお家の味が、濃い。みんな親切満点で、まぁ呑めとビールや酒がつがれるわ、ついでに醤油もかけてくれる。味はますます濃くなっていく。
 子どもの時から肉しか食べなかったのかな? ぼくの疑問。でもその疑問はちょっと浅はかでした。50年以上前に肉ばっかり食べている家庭なんて、このへんにはなかったらしい。お肉屋さんないし、そういえば豆腐屋さんもない。豆腐はどうやって手に入れていたのかと聞くと、自分の家の大豆を持っていって、豆腐にしてくれるおうちが何軒かあったんだそうだ。豆腐はぜいたく品だったぞと教えてもらった。肉は、もっともっとぜいたく品だった。
 野菜は昔からたっぷりあった。大根や白菜は、冬でも保存しておけるから、凍み大根や漬け物にすれば1年中困らない。もちろん野菜がぐんぐん育つ夏の間は、食べるのに忙しいくらいだ。小さいときに野菜ばっかりの生活だったから、その反動だったかもしれないと、当のAさんの枕元で、みんなは語った。あんだけ肉ばっかり食べていたら、血管も切れるよなぁという話も出たけど、それもAさんの人生だったのだろう。食生活を改善しようと口を出すのもよけいなお世話だし、そんなことをしたらストレスで早死にしてしまっていたかもしれない。
 しかもAさん、このへんの食習慣に輪をかけて、醤油が大好きだった。なんでも醤油をたっぷりかけて食べていた。東北地方は味が濃いとよく言うけど、お店なんかの味は、外から来るひとにも合わせて、だいぶアレンジされている。ご家庭の味に接すると、ふらりと訪れる旅では素通りしてしまっている、いろんなことがわかる。いや、味は濃い。
 テーブルには、Aさんの名前が書かれたボトルが置かれていた。飲み屋にキープしていたボトルみたいだ。
「それ、呑み屋にあったんじゃないぞ、ふつうの家だぞ」
 ボトルを気にしていたら、それに気がついて教えてくれた。Aさんは知り合いの家にきのこや山菜を持って、自分のボトルで酒を呑んでいったらしい。Aさんの訃報で、そのボトルが帰ってきた。もう呑む人がいないのだから、みんなで呑んじゃおうということらしい。焼酎が好きなひとだったけど、そのボトルはちょっと高級なウイスキーだった。
 きのこや山菜といえば、Aさんはこっちのほうも得意だった。Aさんが収穫してきた山菜で宴会中だったおうちにたまたま立ち寄ってしまって、そのまま宴に混ぜていただいたこともあった。「やすんでいけ」といわれたら「いってみます」と座を辞すのがお行儀なのやもしれんけど方言に慣れなくて「いってみます」がなかなか言い出せなくて、ついやすんでしまう。やすむってのは、寝っ転がったりするんではなくて、このあたりでは酒を呑めということだ。このへんでやすむと、翌日はほんとに休まなければいけなくなることもある。
 話がそれた。Aさんは、かくもきのこの出る場所を熟知していた。そういう人は少なくないのだけど、その場所はお互いに秘密だ。秘密だよと念を押されて教えてもらう秘密はすぐに知れ渡ってしまうから、ほんとの秘密は誰にもしゃべらない。
「Aあんにゃから、きのこの場所、聞いておいたかい?」
 Aさんは脳卒中で、治療中に一度目を開けたかどうかというあたりでそのまま逝かれたので、もちろんきのこの場所を聞くなんて芸当はできない。
「ありゃー、失敗しちゃったなぁ。Aあんにゃのきのこ、食べられなくなっちゃったなぁ」
 人の生き死にも生活だから、こうやって身の回りに変化が訪れて、誰かがいなくなったことが実感されるってもんだ。
 Aさんは、いろんなことをやっていた。北京オリンピックで鉄が高い頃は、集落のあちこちから頼まれて、鉄くずの回収をやっていた。古い鉄製のサイロかなんかを、1日中切断していたこともある。鉄って、そんなに大もうけできるのか。いやいや、頼まれたからやるという、Aさんの気質がそんな作業を引き受けさせたのかもしれない。
 東京からスケッチをしたいという女の子がやってきたとき、Aさんがとびきりの場所があるから、案内すると連れていってくれた。うーむ、そんなにとびきりの風景には見えない。田んぼと山と、ふつうの田園風景が広がっているだけである。彼女に、どんなスケッチがしたいのかを聞いていたぼくは、その場所には案内しないままになった。Aさん、ごめんなさい。
 今回、思い出してまたその場所にいってきた。あらためてみたら、またちがった風景の美しさに気がつくかもしれないと思ったからだ。
 でもおんなじだった。どうして、そこがとびきりの場所なのか、さっぱりわからない。でもAさんには、きっとなにか思い入れがあるにちがいない。小さい頃の思い出か、あるいはなにかの悩みをその風景が解決してくれたのかもしれない。ぼくにはそのとびきりはわかんなかったけど、Aさんのとびきりは、しっかり覚えておこうと思う。あと何年かしたら、突然、Aさんのとびきりの意味がわかるかもしれないから。
 さようなら。ありがとうございました。