雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

ここ数日のニシマキ

 夏。夏を感じるには、あんまり暑すぎてはいけないような気がする。暑くて頭がもうろうとしていると、夏を感じる余裕もない。だから、避暑に出かけた先があんまりにも寒いと、うれしくもあり、ちょっと腹立たしくもある。
 ほどよい暑さを満喫するのが、気持ちのいい夏の過ごし方みたいですね。どうも。
 この夏は、珍しくオートバイと離れて、オートバイも積まずに知人を訪ね歩きました。


●11日
 自然山通信のふたりは、経理の管理がぜんぜんできない。あんまり自慢になることじゃないから大きな声で言うべきことじゃないけど、公然の秘密だからしょうがない。
 自然山通信が使っている経理の管理データベースは、同時に商品の発送や請求なども管理しているのだけど、これがまた創刊以来ちょっとずつ改良して使い続けているもので、基本設計をしたのがニシマキだもんだから、まともなものではない。
 それで困っていたところ、データベースシステム作成のお手伝いをしてくださるという方に出会い、その方のおうちに杉谷とお邪魔してきた。おうちは長野県諏訪郡。
 トライアルについてはほとんど門外漢で(この場合、そんなことはまったく問題ではない)お庭に池があってイワナが養殖されている。杉谷は海釣りの約束があって途中で伊豆へ向かっちゃったけど、ぼくはイワナをごちそうになって、ツァイスレンズとライカレンズと日本製レンズのちがいについてとか、犬はなぜ散歩のときまでうんちやオシッコを我慢できるのかとか、有意義ないろんな話をさせていただいた。
 かつての本業は半導体技術者だったということで、体育館くらいの広さの図面でおこなう半導体の設計の話も楽しかった。


踊る河童さん。
ただしお面を
かぶっている

●12日
 ゆっくり寝かせていただいて7時半に目が覚める。おうちには調理用と暖房用の薪ストーブがあるのだけど、冬には何トンもの薪を使うから、まき割りだけでも重労働。薪割り機があるからまだ楽なのだけど(手で割れば1トンのところ、機械なら4トンは割れるという)なかなか時間がないという。だったら手ごろな労働力があるのでご紹介しますと約束してお世話になったおうちを辞する。
 手ごろな労働力はそこからごくご近所の宮田知孝。ジャングルで知りあった泥んこ仲間。今はこつこつと自分の家を作っている。この前来たときには庭の木を抜いているところだったけど、今回はコンクリートの基礎が半分できていた。薪割りの話は双方にとっておいしい話だったので、うまく折り合いがつきそうだ。宮田はこの冬、ひとの家の分まで薪割りをしてあげることになるのだけど、それでもいつもの半分の時間で作業が終了するというスピードを得ることになった。
 でも、薪割りはやっぱり斧を使うのがかっこいいと、厳冬の地で生活したことがない門外漢は思います。
 この日はコンクリートの基礎に防水加工をほどこす作業を手伝い、夕方6時から近所の美術館に河童の大道芸を見に行く。老門一郎さんという旅する河童(頭のてっぺんをそりあげて河童を名乗って芸をする)。宮田ともども、あんまり乗り気ではなかったのだけど(だってどんなものなんだか、さっぱりわかんないんだもん)見てみたらおもしろかった。
 夜、河童さんを招いた画家の庭でこじんまりとした宴会がおこなわれるというので、飛び入りで出席させてもらう。河童さんは日本全国はもちろん世界を旅しながら芸をしていて、その間にはハイチでクーデターに遭遇して軟禁されてメキシコ政府専用機で救出されたとか、アルプスの山中で野犬の群れと対峙して恐怖の時間をすごしたなど、話題はつきない。気がついたら朝の5時まで宴は続いた。河童さんは翌日は一宮で大道芸を演じ、その翌日はまた小諸に戻るという。飛行機か新幹線で移動するかと思えば、青春十八切符を買っての旅である由。すごい。久々に、感動の人物に出会った。
●13日
 すっかり朝寝坊して、9時半頃起きる。泊めていただいたので、もう少し宮田の家を造る作業を手伝おうとするも、暑くてパワーが出ない。排水パイプを埋めるため、幅30cm長さ1m50深さ1mの穴を掘るのに、ふたりで1時間を費やした。
 もっとも主役は宮田で、ぼくはスコップをふるっているだけ。それでも、やっていないよりやっていたほうが作業の進展に貢献するだろうと、ちょいちょいと手を出して穴掘りを進める。スコップ持って穴を掘るなんて、キャメルトロフィーの取材をしていた頃以来だから、10年ぶりくらいかもしれない。薪割りといっしょで、こういう作業は重機でやれば一発だけど、しこしこ手作業でやると、少しだけ地球と語らえるような気がして、うれしい。
 資材が足りなくなったのでホームセンターに買い物。ついでに旧知の知り合いの別荘を訪ねると、ちょうど今着いたところだという。10年ぶりくらいにおじゃましたけど、建物も人間も変わっていなくて(ただしお父さんはおじいちゃんになっていて、娘には娘ができて人口が増えていた)安心しながら、近況報告などをしながらいつの間にか焼酎をいただいてお話。
 たぬき先生と呼ばれる東京の小児科先生なんだけど、きのうは河童、今日はタヌキと、お盆だけに、もしかすると毎晩化かされてしまっているのかもしれない。



突然の夕立

●14日
 1歳8ヶ月の娘つきおかあさんとそのお友だちと小娘のおばあさんとで沢遊びに出かける。八ケ岳の麓なんざ、沢なんかどこにでもあるだろうと思ったけど、結局宮田に聞く羽目になった。「ひとのふんどしで相撲を取る・能書きと言い訳と受け売りを商売にしている」とぼくの職業をあめためて説明するも、そんなことは先刻ご承知の様子。
 なんせぼくはこのおうちには高校生の頃からお世話になっていて、ここの別荘を建てたときには、布団やら電気用品やらを運ぶんで、ずいぶん運転手をやらされたもんだった。別荘には家が建った頃からの日記が残されていて、その最初のページからぼくが登場している。自分が歴史上の人物になったような気もしたけど、ここの人たちは、誰もそんなふうには思っていない。
 
●15日
 小泉さんが靖国神社にいったというのは午後になって聞いた。夜になって帰り際、空を見上げたら、天の川がきれいに見えた。でも空もずいぶん明るくなっている。満点の空を眺めるというのは、今のご時世、ずいぶんぜいたくなことなんだなぁと思う。クルマが多いながらも流れのよい中央高速を突っ走って2時間ちょっとで東京へ。