SSDT、Scottish Shix Days Trialは、120年からの歴史を持つトライアル大会、6日間という過酷さもさることながら、1909年以来、脈々と(大戦やコロナ禍、口蹄疫などによるやむを得ない中止をのぞいて)開催が続いているのがすごい。
トライアルテクニック、走破力、タイムキーピング、マシンのコンディションを整えるノウハウ、ありとあらゆるスキルが試される現場が、スコットランドの荒野に広がっている。

SSDT出場を決めたのは、どんな経緯だったんですか?
「前から行ってみたいとは思っていました。お父さんもエンデューロのISDEに行きたいと夢見ていた人だったし、自分も成田亮さんとか匠さんとか、SSDTのことを教えてくれる人が身近にいてくれたので。だから今年、ということではなかったんですけど、いろんな巡り合わせで今年、ということになりました。スコルパジャパンの三留社長に行ってみたいと相談したら、じゃあ今年行っちゃえば、ということになったんです。
伊藤さんが色々と協力していただけたので
なるほど
エントリーの締め切りは、だいたい前の年の暮だったですよね?
「そうですね。11月の終わりとかそんぐらいです」
海外経験はあったんですか?
「自転車の時に、2回ほど行ってますね。海外レースが初めてではないですけど、バイクでは初めてです。自転車で行ったのは、ベルギーとデンマークでした。イギリスに行くのは初めてです。トライアル以外で海外旅行をしたことはありません」
自転車のときもお父さんといっしょに?
「一回はお父さんと一緒に行って、もう一回はチームの人たちに連れていってもらいました。一回目は中学1年生で、2回目が中学3年生の時でした」
当時、初めての海外は、どんな印象でしたか?
「やっぱり、各国の上手いライダーの人たちが集まってくるなっていうイメージですね」
SSDTについては、出発前にはどんなイメージでしたか?
「イギリスの人たちが走り慣れてる感じの沢をいっぱい走るんだろうなっていうイメージではありました」
SSDT向けの練習とかトレーニングとかはどんな感じでやっていましたか?
「ふだんより多めに沢の練習とかしながら準備をしていました」
6日間走り続ける体力とかについては、自信はありましたか?
「体力を心配してのトレーニングとかは、あんまりしなかったですね。ふつうに、今まで通りのトレーニングの延長という感じでやっていました」
●1日目リザルト
6日間大会を走る経験は初めてだろうけど、2日間はGPで経験あり? 全日本の中部大会でも2日間走っていたっけか?
「もてぎのGPは、2023年に1回だけ走ってますね。T2クラスです。中部大会も2日間走っていますね。2日間の大会は、やっぱり大会での疲れ方はちがいますね。体力的なものと精神的なものと、両方あるような気がしますね」
SSDTは、参戦までの準備は全部向こうで用意してもらって?
「そうですね。レンタルで走らせていただきました」
日本から持って行ったパーツとかはありましたか?
「ハンドルぐらいですかね。タイヤはミシュランがついてましたけど、日本でもミシュランを使ってるので問題なしです。サスもそのままです。日本でもほぼ吊るしのまま乗ってるんで、向こうでもそのまんまで問題ないです」
●2日目リザルト
でかけていったのは5月になってから?
「5月の1日に出ていってますね。スタートが5月の5日です。日本を出て、向こうに1日の朝に着きました。着いたのはスコットランドのグラスゴーです。そこからフォートウィリアムまで、クルマで2時間ちょっとだった気がします。着いたのがまだ早かったみたいで、向こうの皆さんはまだ現地にはいらっしゃいませんでした。シェルコチームの皆さんも、他の選手たちも。なので現地に着いて1日は余裕がありました。プレ65? やっていたみたいですけど、あれは場所が少し離れていて、ぜんぜんそっち方面の人には会わずです」
「なのでまず、SSDTの雰囲気になっていないフォートウィリアムに着いて、宿はパドックから車で10分離れてないかなぐらいのところです。お父さんとかみんなで調べて探した一軒家のレンタルみたいなところで、台所もついていました。
「オートバイを受け取ったのは、シェルコファクトリーさんが来た土曜日でした。金曜日はイギリスのシェルコ販売店とかと、テントの設営とかやるのを手伝うみたいな感じですごしました。ぼくのマシンはスペインから運ばれてきました。土曜日にマシンを受け取って、ハンドル取り換えて、日曜日に車検。パドックでちょっとぐるぐる走ったくらいでしたけど、まるきりの新車ではなくて、ちょっと走ったマシンだってことでした。車検の前に、みんなでパレードやりました。パレードから車検、という感じでした。パレードは、パルクフェルメから出発して商店街抜けて戻ってくる、みたいな。すごい活気のある感じで、ちょっと日本ではない感じでした。パレードは集まれっていわれてから開放されるまで2時間もかからないくらいでした。いろんな衣装来てる人いましたけど、ぼくは上だけジャージ着ていきました」
本番のウェアはどんなのを揃えたんですか?
「全日本で着ているウェアと、あとはシェルコのウェアでやらせていただきました。今回はまれにみるいい天気続きだったですけど、雨が降ったら、これではちょっと薄着だったかもしれないですね」
●3日目リザルト
ゼッケンは何番ですか? それによって、スタート順とかも決まるんですよね。
「ゼッケンは116番でした。2日目に一番最初のグループでスタートしました。116番は2つ目のグループの一番最後の方ってことになます。
自分の前を、50台走ってるのと110台走ってるのとでは、わだちのつき方とか道のわかりやすさとか、ずいぶんちがいますか?
「そうですね。基本、旗のついたポールを追っていくんですけど、起伏が激しくて旗が見えづらいんで不安になることが多かったです。割とそんなに細かくは立ってないんで、やっぱりわだちを追って走っていく、ということになります。初日と2日目はあんまり慣れない感じでしたけど、3日目くらいからだいぶ慣れてきていました。荒野を走るテクニック面で、ですね。最初、走り方に慣れていない頃、同じくらいのゼッケンの、何度もSSDTを走っているような地元のライダーについていこうとすると、やっぱりぜんぜんダメでした。自分のスピードを超えてついていくのはダメですね。1日目はがんばってついていこうとして、沼地みたいなところでみんながスッと抜いているのに気がつかなくて、ズボッとはまって人間だけが投げ出されるみたいなことになります」
ムーアの地獄、ですね
「みんなはそこで飛んでったりしてるんで。地元の人、経験のある人はわかってるんですね。気づくのが遅れると、ハマっちゃいます。回りの人、有名な人がいるのかどうだかは分かんなかったですけど、みんな走り慣れてる人ばっかりでした」

あらためて、SSDTに接しての印象はいかがでしたか?
「やっぱりセクション間の移動はすごい壮大な景色で、すごい楽しかったですね。セクションもふだん日本で練習できないような、すごいがれてる沢とかがありました」
●4日目リザルト
成績とか、もくろみというか目標はありましたか?
「完走はあたりまえで、100番以内は目指したいな、が最初の目標でした。1日目終わって107位とかで、まず予定通りかな、という感じでした。最終的には100番にはちょっと届きませんでしたが」
完走については不安要素はなかったですか?
「雨が降ってたら分からないですけど、今回晴れてたんで、問題なかったと思います。今回のようなコンディションで完走しなきかったらまずいぞ、とは自分の中で薄々感じてはいました。だから完走についての不安といえば、逆にこのコンディションで完走しなかったら、という逆のプレッシャーでした」
トラブルらしいものはなにかあったですか?
「リアホイールのスポークが折れたぐらいで、他はなかったですね。それは戻ってから時間があるときになおす、みたいなことにしました。とりあえずその日はタイラップとかでしばって、走りました。その日は時間がぎりぎりだったので、次の日の朝スタートしてから、一度パドックに戻ってスタートしていく、みたいにしました。パドックに戻ったら手伝ってもらえることになってるんで、その点も助かります」
パンクもコースミスもなかった?
「パンクもなかったですね。コースは、3日目くらいに5分ぐらいまちがえました。走っていたら、あれ? これじゃねえや って戻った感じです。ミスコースに気がついたというか、ゼッケンが自分より若い人たちの列に追いついちゃったんで、これはちがうと気がついたんです。セクションの番号を確認してミスがないのを確認する方法もあったみたいですけど、自分はそれはなかったです」
●5日目リザルト
リザルトを見ると、わりと5点が少ないスコアが並んでるんですね。
「そうですね。5点をなるべく取らないように心がけて走っていました。SSDTはノーストップルールなんで、止まらないように止まらないように、足ついて走らせるみたいな感じの意識はありました。走らせ続けてた方が走りやすいみたいな感じもありましたし」
「順位的には、2日目でだいぶ落として3日目以降で徐々に上げていったみたいな感じですかね。2日目で一気に140位ぐらいまで落ちちゃって、そこから3日目以降で巻き返して105位くらいでゴールしています。2日目はなにかやらかした、というより、イギリスの人たちが走り慣れてる感じのところばっかりで、イギリスの人たちの減点数すごい少ないのに対して、経験のない自分だけすげー減点数叩いちゃって、それでだいぶ離されちゃいました。2日目のセクションは、他の人ちがって、ふだんから練習できるところなんです。だから地元の人には有利ですよね。もう、このラインなら行けますよって感じの人が多かったです。帰ってくるのも、2日目はみんな早かったと思います。セクションも走り慣れてるでしょうし、下見もごく短めなんでしょう」
タイムオーバーは1日もなしでした?
「一日もしてないですね。3日目に30分くらい残して帰ってこれて、その日はその日のうちにエアクリーナーとかを交換して、タイヤ交換もしてパルクフェルメに預けました。3日目の終わりにタイヤを変えようというのは予定はしていたんですが、それでちょっとがんばって走ったら30分余ってたんで、じゃ、その日のうちにタイヤ交換しようということになりました。タイヤは1回は変えたい、ということで、だったら3日目の終わりかなと。2回変える予定はなかったです。もう一回変えたいといえば在庫はあったと思いますけど、その分請求もくるんで、自分は1回と決めていました。3日間走ったタイヤは、やっぱり道路走る分、真ん中の山がふだん減らない減り方をしてましたね。角が減っているというより、面が全部なくなってました。それでも、タイヤが減っててグリップがどうとか、そういうのは感じませんでした。タイヤ交換しないで6日間走っていた人もいたんで、走ろうと思えば6日間走れるとは思います。ブロックがちぎれ飛びはしなかったです。交換したのは後ろだけ、前は向こう感です。前はぜんぜん問題なかったですね」
「ゴールは、一番遅いスタート時間の日に夜の8時前ぐらいですかね。まだ明るいです。晩御飯はお父さんの自炊ですね。お父さんは、見れるところまでは車で見に来て、自分を見送ったらパドックに戻ってくるみたいな感じで、6日間全部やってもらいました」
●6日目リザルト
その合間に自炊用の食材の買い出しとかもしてる、ということですよね。けっこう忙しい。ウェアは何着持って行きましたか?
「ウェアは全部で4着持ってきました。雨降ったらと思って多めに持っていったんですけど、結局3着の洗い回しで間に合っちゃいました。毎日1回洗濯機を回して、翌日には乾いてるみたいな感じでしたね。時間的にはだいたいOKでしたが、一番スタートが遅くてゴールも遅かった日だけ、洗濯してご飯食べてとやっていたら、ちょっとやばかったですね。翌朝は、まだ眠いなって感じの朝でした。一番ゴールが遅い日の次の日が、一番スタートの早い日になるんで」
みんな、一番遅いスタートの日がそれぞれあって、その翌日は一番スタートが早い、という日になるんですね。それは何曜日だったんですか?
「一番遅いのが3日目だかで、一番早かったのが4日目ですかね」
自分自身、一番調子がよかったのは何曜日だったでしょう?
「5日目、6日目あたりですかね。後の方になればなっただけ慣れてきました。ゆっくり慣れてきたかなという感じです。地形は毎日ちがうんですけど、この大会の走り方の感覚に慣れてきた感じでしょうか。次の機会があれば、最初からこんな感じで走れるかなと思っています」
来年も行きますか?
「チャンスがあれば行きたいです」
世界選手権とSSDと、どっちかに行かせてあげる、と言われたら、どっちにしますか?
「どうしましょう。リベンジの意味も含めて、SSDTにはもう一回行きたいなっていうのはあります」
今年、2勝して調子を上げていますけど、SSDTに出るという意気込みや、あるいはSSDTの経験が全日本に活きた、というのはありますでしょうか?

「元々、常に表彰台を目指して走るのは今年の目標だったんですけど、開幕戦での優勝は自分にしてはけっこうすごく良かったかなとは思います。SSDT後のもてぎは、SSDTを走ってきた経験がどこかで活かせればいいなと思ったんですけど、活かせそうなセクションでとごとく5点になったんで、この大会に限っては、SSDT経験があんまり活かせなかったかなと思います。SSDT経験が活かせそう、というのは第2とか第3ですけど、ぜんぜんうまくいきませんでした」
今の時点で、ご自身になにか成長の実感はありますか?
「あんまりそういう感じではないですかね。まず、雨だったらどんなにすごいことになるんだろうというのがあります。晴れててもムーアとかはぐちゃぐちゃだったんで、雨降ったらもっとたいへんになるんじゃないかなと。次は、雨も経験してみたいですね
一緒に走っていて、仲よくなったライダーとかはいますか?
「ゼッケンの前後の人はずっと一緒で、6日間近くを走ってたんで、ある程度話して仲よくはなりました。でもどこの誰なのかはわかんないです。ゼッケン番号ぐらいしか覚えてないですし。言葉は、単語を並べたくらいの言葉で理解してもらってるみたいな感じでした。ちょっとは通じてるという感じはありますね」
6日間とも、まわりの人から遅れたことはなく走れたんでしょうか? スポークが折れたときは?
「スポーク折れは、修理と言ってもたぶん5分も止まってなかったと思います」
ムーアで埋まって出せなくなったとかもなかった?
「埋まって出せなくなる、はなかったですね。
フロントが突っ込んで投げ飛ばされたりは、1日目と2日目に1回ずつくらいはありましたけど、その後は大丈夫でした。ここやばいところなんだっていうのはだんだんわかるようになってきました。最初の頃は、やばいところも大丈夫なところも、同じように見えてたんでぜんぜんわからなかったです」
6日間は、やっぱり疲れますか?
「4日目以降ぐらいは、ちょっと疲れてるなっていうのはありましたね。それでなにか具合が悪いかというと、それはあんまりなかったと思います。6日間走って、もう1日走れるかといわれたら、今回は晴れていたんで、もう1日くらいは体力残っていたと思います」
工具は、どんなものを持っていったんですか?
「自分のバイクが壊れた時に直せるくらい、ですね。リュックサックに入れて持っていきました。全セクション、リュックを持って下見をして、出口にリュックを置いてトライします。セクションを歩くのは、けっこうしんどかったですね」
女性ライダーには誰か会いましたか?
「シェルコのケイトリーさんと、ベータに乗るもう一人といっしょになりました。後ろからスタートして、追いつかれた、という感じですね。走り慣れているんでしょう、すごいうまかったです。エマ(ブリスト)さんはともかく、他の人とはちょっとは勝負になるかなと思ってましたけど、ダメでしたね。2日目をもうちょっとがんばっていれば、もしかしたら勝負できたかもしれません」
帰りの飛行機はぐっすりですか?
「終わってから、そのまま何泊かしてから帰ってきたんで、疲れはもうとれていました。土曜日にゴールして、日曜日は片づけをしてましたけど、月曜日になったらもう誰もいませんでしたね」
来年リベンジをするとしたら、たとえば順位の目標はどれくらいになるでしょう?
「リベンジを果たしたといえるのは、やっぱり50番ぐらいを目標にして練習していかないといけないかなと思います。一度行ってみて、日本にどこまであるかわかりませんけど、大きな岩がごろごろしていたり、小さな岩がいっぱいあるところとか、とにかく沢を走らなきゃダメだというのがありますね」
過去、SSDTに出場した日本人は少なくないが、若いうちに出場を果たした日本のライダーは、意外に少ない。
広大なスコットランドの大地の様子から、のんびりしたお楽しみトライアルを想像した人が多く、過酷な選手権挑戦を終えてからSSDTに行こうと考える人が多かったのかもしれない。あるいは、世界選手権と比べて、アマチュア向けという認識が先行したからかもしれない。というのも、まず優勝するトップライダーが、6日間を通じて一ケタ減点で帰ってくるという事実から、難度の低い大会が想像されること、そしてアマチュアライダーが多数出場していることで、誰にでも参加が可能だというイメージが定着していることだ。
ところが実際には、優勝スコアを「そんなもんか」と納得できる人はごく少ない。日本のたいていのトップライダーより、一ケタちがうくらいの減点数で帰ってくるのが、SSDTのトップライダーだ。彼らトップライダーも、そしてイギリスのアマチュアライダーも、トライアルを始めると同時にSSDTを目指し、公道を走れるようになると同時にSSDTに参戦する。SSDTについては豊富な経験を積んでいる。経験を積んだベテランライダーが元気に荒野を走り回るのを見て、スコットランドを一度も走ったことがない日本の壮年ライダーが走れると思うのはちょっとまちがいで、実際、完走を果たせずに帰ってきた日本のライダーも少なくない。
SSDTは若いうちに出るべし。6回SSDTに出場した経験を持つ自然山通信の杉谷真も、断固そう主張する。絶対的なセクション難度は高くはないかもしれないが、それでもIBクラス以下のライダーにとって走破不可能と思われるところも少なからずある。それ以上に、スタートからゴールまでの自分とマシンをマネージメントすることなど、6日間で学ぶべきことは非常に多い。
日本に世界のトライアル情報がようやく届いた頃、SSDTは世界選手権と並んで、あるい世界選手権よりもさらに、勝者の名誉が大きい大会だった。それは当時のトライアルがイギリスの主導だったという現れでもあるのだが、大会のそこここにあふれるトライアル・スピリットは、時代が変わっても多くのトライアルライダーがめざすにふさわしい。
