雪は降ったって春は春。シーズンは開幕してます。えいえいおー

花見

2011年夜ノ森の桜

左側、クルマが停まっているのが温泉施設のリフレ。もちろん温泉にはいっているわけじゃない。

花見をしてきた。ものすごくくたびれた花見だった。来年、この桜をのんびりとした気持ちで眺めたいと思うのだが、はたしてかなえられるのか。

夜ノ森という、なんとも響きのいい名前のこのあたりは、桜の名所だ。

今日、あいかわらず電話もネットも通じないし、携帯電話が通じる山のてっぺんまで出て仕事の連絡をとろうと思っていたら、隣の遠藤さんが帰ってきたのが見えた。弟の遠藤さんが夜ノ森で自動車屋さんをやっていて、お客さんのクルマとかが放置されているんで、とりにいくという。話をしているうちに、運転手として連れていってくれと立候補していた。夜ノ森の様子を見にいってみたいけど、なんの用もないのにでかける勇気がないという、なさけない雑誌屋でありました。

4人でクルマに乗って、夜ノ森を目指す。我が村は、一部が原発20km圏内に入っていて、避難指示区域にはいっている。でも20km圏内に入ってもトンネルには電気がついているし、道の亀裂もそんなに大きくはない。地震は、たいしたことはなかったのだ。海の側から逃げてきた人たちも、トンネルに電気がついているのを見て、希望を見いだした人が多かったという。今日は、その逆の道をたどる。

1104福島第一原発

よく見えないと思うけど、落ち着いて望遠レンズを構えたくなし。にらんでいただければ、テレビでよく見る形が並んでいるはず

夜ノ森の手前に、いくつかトンネルが続く。すべて、電気が消えている。最後のトンネルにはいる直前、左を見ると福島第一原発が見える。福島第一原発がのことは、イチエフ(1F。Fukushima 1ですね)というんだそうだ。地元のひとにはそれで通るらしい。ぼくは、今回はじめてそれを知った。今は、世界中の人が知ってるんじゃないだろうか。
「原発がなければ、なんということはなかったのになぁ」

弟のほうの遠藤さんが、ぽつりとつぶやく。遠藤さんは、腕の確かな板金塗装屋さんだった。色合わせは職人技だという。ぼくのクルマは傷や凹みはご愛嬌だと思っているけど、いつか修理に出せるようなクルマを持たないといけないなぁと思っていた。

夜ノ森の町には、クルマがけっこう停まっている。温泉施設には、ずいぶんたくさん。温泉を楽しんでいるんではなく、避難所となったときにやってきて、なにかの理由で乗り捨ててったものだ。

遠藤さんの店は、1Fから8kmくらい。出かけてくるときには海からの風が吹いていたけど、今は山からの風が強い。外から見る限りはとりたてて被害はなかった。中では棚が倒れたりたいへんだったけど、それでもこのへんは大きな被害はない。富岡まで行くと6号線も波打っているそうだが、このへんは6号線も平らに見える。

お客さんのクルマ、自分のクルマを表に出して、バッテリーが上がっていたクルマのエンジンをかけ、疎開先で仕事を再開すべく、工具などを運び出し、引き返してくる。書いてみると簡単な作業で、きっと実際にも簡単な作業だったのだと思う。でも、あちこちががちゃがちゃに崩れているので、作業が進まない。手伝おうにも、作業の段取りなどがわかんないので、効率が悪い。もちろん段取りなんか考えていなくて当然なのだが、なかなか作業が進まない。

1104夜ノ森の景色
地割れもない、平和な景色。電気がついてないのと、クルマが走っていないのが、異常。

もうひとつ、たぶんこっちのほうが大きな理由なのだけど、やっぱり原発8kmというプレッシャーは大きかった。このところ、流出している放射線値は安定していて、直ちに健康に影響のあるものではない。それに、もう50をすぎたおっさんだから、今から少々健康に影響があっても、結果が出るよりも先に寿命が終わるほうが確率が高い。心配しても始まらないのはわかっているんだけど、気持ちが揺れっぱなしみたいな気がする。

そのうち、鼻がちくちくしてきた。被曝したからといって、すぐに鼻がおかしくなったらたまらないんだが、どんどん落ち着かなくなる。周囲の空気が、てんでふつうなのが、さらに気味が悪い。そのうち、鼻がちくちくするのは、放射能じゃなくて、板金屋さんのシンナーのせいじゃないかと気がついた。

実は、ガイガーカウンターを貸してくれた人がいて、持ってこようかと思ったのだけど、そのときはたまたま別の人が使っていて、とりにいくとまた時間がかかりそうなので、手ぶらで来てしまった。でもカウンターが高い数値を示すと、これまた平常心でいられないのがわかっている(村内の調査に出かけて、体験済みだった)。情報は多いほうが正しい判断ができると信じてはいるけど、知らないほうが幸せなこともある。

こうして、作業時間3時間ばかりの、出かけていって、お片づけを手伝って、クルマに乗って帰ってくるという、それだけのボランティアは終わった。お仕事的には、たいしたことはない。帰ってくる前にクルマを洗って、着ていたカッパやジャケットを捨てたりビニール袋にしまったりして、手を洗い、顔を洗い、風呂に入った。

でも、どよーんと疲れた。気疲れなんだろうと思う。被曝するとだるいらしいから、そうかもしれない(きっとそういう突っ込みをする人がいると思うから、先に書いておく。まだまだこのあたりでは、そんな量の放射線が漂っているわけはない)。それでまた、原発に水をかけに行ったレスキュー隊のみんなの想像を絶する消耗度とか、今この瞬間にも燃料棒と格闘しているみんなのことを思った。

どうかどうか、よろしくお願いします。いろんなことは、そのあとだ。