大きな災害が相次いでいます。災害支援にトライアルは最適。しっかり腕を磨きましょう。

ウエルカムプラザ最後の日のトライアル

ホンダの本社は、東京は港区南青山にある。これは1985年建設され、足かけ30年にわたって本社機能を司ってきたものだが、このほど、建て替えが決まり、社内の業務も5月で終了することになった。それに先立ち、1階にあるショールームというかイベント広場というか、特にモータースポーツファンにはいろいろと思いでが深いHondaウエルカムプラザ青山が、3月31日で休館となった。

2月から3月にかけては、ホンダ本社ビルの思い出を振り返るツアーなどが開催されてきたが、いよいよ終焉に近い3月末の週末には、開催が迫ったF1ドライバーなども出席して、トークショーなどが開催、ウエルカムプラザは大盛り上がりとなった。週末は30日が日曜日だった。その翌日、3月31日がほんとうの最後の日となった。

この最後の日は、いくつかのトークショーの開催が予定されていて、その口火を切って催されたのが、小川友幸トークショーだった。

小川友幸ファン、トライアルファン、ウエルカムプラザファン、そしてホンダファンが早々に席についてトークショーの始まりを待つ中、まもなく開演というところで運ばれてきたのがなにやら三角のオブジェ。一部の熱いファンなら何が起きるのかこれで察知できるけれど、なんだこれは? と不思議そうな視線を注ぐ人も、一部にはいらした。

会場の裏側から登場した小川はトライアングルを登ってしなやかに着地、2階へ上がる階段でターンをして、愛車RTLとともにステージに上がった。

そして楽しいトークのあと、降壇もまたRTLで。小川友幸のお話を聞きにきたファンにとっては、サプライズの大喜びとなった。

トークショーでは、1985年にこの本社ビルのオープニングイベントでも、トライアルショーが開催されていたことが披露された。当時の写真がスクリーンに映されたのだが、小川もこの事実はこの日まで知らなかったという。

トライアルショーに出演したのは服部聖輝、丸山胤保、小林直樹だったという。このあたりは、いっしょにトークショーを聞いていた元ホンダマンで、青山の本社ビルができる前からトライアル普及に携わり、多摩テックのスタジアムトライアルの設営にもかかわった高山正之さんに教えてもらった。今回のイベントに写真を提供したのも、もちろん高山さんだった。

これが1985年の本社ビル新築こけら落としのトライアルデモ

このイベント、取材対応とかなくて、本社OBもぼくも、いっしょにオープンといっしょに中へ入って、ふつうのお客さんといっしょにトークショーを聞いていたのだけど、そこには藤澤博幸さんもいた。藤澤さんも高山さんも、一時期ウエルカムプラザの親分みたいなお仕事をされていたことがある。藤澤さんによると、ウエルカムプラザでは、過去に一度だけ、オートバイが走ったことがあるという。ライダーは藤波貴久で、2階から階段をとことこと降りてきたとのこと。それにGOを出したのが藤澤さんだったのだが、ビル管理のご担当に、どえらく怒られた、という思い出を語ってくれた。

藤波さんは世界チャンピオンだし、降りてくるだけだし、階段にダメージを与えることは一切ない、並のライダーとはちがうんだ、と藤澤さんは説明したんだというが、先方は「藤澤さん、そういう問題ではないんです。このビルは、オートバイが走るために作られたものじゃないんです」とやっぱり怒られ続けたんだという。

あれから39年。小川友幸トライアルデモ開催と思うと、もうちょっと見たいぞ、という思いはあれど、今回はちゃんとセクション構成物を越えての登場だった。これは30年目の、歴史的快挙、だったかもしれない。

もう最後だから、そこら中走り回ったっていいじゃないか、なんなら壁にタイヤの跡をつけたっていいじゃないかとも思うのだが、このビル自体は5月までは引っ越し業務やら難やらで活動を続けるものだし、せっかくタイヤの跡をつけても壊しちゃうしで、今回の歴史的偉業は登場時と退出時の、それぞれ瞬間芸だった。瞬間芸だからこそ、現場で目撃できた人には、貴重な人生経験となったことだろう。

新しい本社ビルは2030年の落成を予定しているという(それまでは虎ノ門のアルセアタワーとHonda和光ビルで本社機能を行う)。MCのピエール北川さんに「新社屋お披露目の際にもデモンストレーションを」と振られた小川は、つい「それまでがんばります」と答えていたから、引退はもちろん、全日本王者の座も、まだまだ揺るぎない勢いだ。