4年に渡るヨーロッパ修業から帰国して2年目
ホンダのファクトリーマシンを手に入れた武田呼人が思うこと
*このインタビューは、4月20日(全日本選手権開幕戦と第2戦の間)におこないました。
結果的に、スーパーに昇格したけどひとつも走らないでヨーロッパに行って、ということになりましたけど、今となっては、あの時の自分と、そういう選択をしなかった自分とは比較のしようがないんですけど、今の方が正解だと思っています。人生の岐路としても、です。仮にもし、ぼくがトライアルをやってなかったとしても、あるいは、向こうに行ったことで、トライアルができない状況に置かれたとしても、行って正解だったと思っています。トライアル留学としてもちろん正解だったんですが、ただの人生経験としても、行ってよかったと思っている、ということです。
ヨーロッパに行ってよかったのは、海外の人たちとのコミュニケーションの取り方とか、いろんなものの考え方とかを学べたこと。それでも最後は、人間はどこの国の人でも、結局は考えとることも同じやし、礼儀とかも含めて、全く同じだなっていうのに気がつかされたりもしました。

外国人はテキトーだなーって聞きません? 日本製外国製の品質の差とかも、そういうところから来てるんじゃないかと思うんですが、でも根っこのところはおんなじだなぁ、て気がついたんです。どこの人でも、朝起きて、夜寝て、ご飯をいつ食べるかとか、だいたいみんな同じだなって。
同じなら、わざわざ行く意味がないって気もしますよね。でもいろいろやって、最終的に気がつくことが大事なんじゃないかなって。もちろん、細かいところで違ったりする部分はありますけどね。
ヨーロッパの礼儀について、ハイメ(ブスト)のところに居候しながら学んだというと、そこをつっこまれることはあります。でも実際、ハイメは礼儀はけっこうしっかりしてる。ぼくらに見えてないハイメがいます。外側から見たハイメとは、ぜんぜんちがいます。外から見えるハイメは、お調子ものなんですね。なにかのタイミングでテンションが下がらないままふつうの場所に出てきてしまうと、ふつうじゃないハイメが出てくる。みんなが思ってるハイメの印象と、本当の内面とはぜんぜんちがいます。めちゃくちゃ真面目です。
トライアルが本当に大好きだし、バイクも好き。センスだけで勝ってるとか、そこだけ取り上げられることが多いけど、センスだけじゃ、あそこまで昇っていくのは絶対無理やと思います。めちゃくちゃ努力してるんです。そうは見えなくて、遊んでばっかりに見えてるんだと思います。
ハイメもそうですけど、ぼくについてもおんなじような印象を持ってもらってた気もしました。日本のみんなには、スペインで楽しそうやねとか、けっこういろんなところに遊びに行ってるねとか、そういうふうに言われました。SNSにあげるのって、いいところ、おもしろいところじゃないですか。地味なところはあげてないから。

苦労してることはあるし、そういう部分もいっぱいあるんですけど、そういうふだんがあるからこそ、楽しいことがあったときには楽しかったことを見てほしいんです。でもそればっかりみたいに思われたりするんですね。
最初の1年は、大会には出られなかったですけど、でも乗ってはいました。スペインに行ったのは、まずトライアルを学ぶためだったんですけど、それは技術面だけじゃないんです。バイクのことを知るとか、どういうセッティングだといいバイクに仕上がるかとか、ヴェルティゴではいろんな勉強をさせてもらいました。
初めは大会後の掃除が仕事でした。環境マットやスタンドを洗う、バイクを洗う。少しして、市販マシンの完成検査みたいなこともやらせてもらったんですけど、最初はとにかく掃除です。

そんなことをしていたら、まぁバイクの会社なんでレースで使う車両はいっぱいあるわけです。その中から余っているのに乗らせてくれて、そしたら意外に乗れるんだねっていう風に見てくれて、ちょっとずつ立ち位置が変わってきました。
ぼくの仕事場には、ハイメも整備に来るんですけど、今度いっしょに乗りに行こうって言ってくれて、練習に連れていってもらうようになりました。そこからめっちゃ楽しい時間が始まりました。
向こうの人としては、ぽろっとやって来た日本のトライアルライダーです。A級チャンピオンといっても、実際に目の前で乗って走ってみないとわからない。まぁ信用してもらえないんですね。
あとは気持ち。こいつ、どういう風に思ってるのかなとか、勢いがあるなとか、おもしろいな、みたいな、ある意味、インパクトを見せないといけないなと。ふつうじゃ、向こうの人にわかってもらうのは無理です。だから初めの頃は攻めまくりでした。怖いなと思うところも勢いでいったり。すると、それですごい評価されてきた。認めてもらいたいというより、もともと、そういう練習をしてきた、というのもありました。だから行ってみろと言われて、なにも考えずにつっこんでいけた。もちろん大クラッシュして、それをおもしろがられることもあったけど、結果的にそんなこんなが評価されたんだと思います。勢いあるなって思われたんだと思います。ぼくがヨーロッパにいられたのは、そんなところが大きかったのかなと思います。
スペインに行って、どんなふうに上達してきたかと言えば、行ってすぐが、一番伸びたかもしれないです。今までに見たことないものを見たからじゃないでしょうか。それは大きいです。上達具合は、たまに日本帰ってきたとき、みんなといっしょに練習して、自分がどれくらいとわかるときですね。
ただそれは、うまくなったと感じるより、ぼくはこういうところは上手、こういうところは下手と、そういう比較ができることです。日本人が得意な分野があるんです。スペインから帰ると、日本のみんなは、こういうところがうまいなって感じます。ぼくは日本人ですけど、スペインで練習していると、日本人うまいってなるんですよ。
あとスペインのみんなにも、うまくなったって言ってもらいました。ハイメはほぼずっといっしょだから、うまくなったよって、ヴェルティゴの人にも報告してくれるんです。それでスペイン選手権に出たり世界選手権に出たり、活躍の場を広げさせてもらいました。

日本とスペインのちがいというと、練習環境のちがい。地形、練習方法、それからトライアルに対する考え方……。地形そのものは、海外の地形は日本にもあると思うんです。アンドラとかは独特ですが、それ以外でいえば、岩の大小はあれ、だいたい日本にも存在はします。ただ日本の場合はひとつの練習場と別の練習場が離れている。たとえば滑る山と、グリップのいい岩と、両方を一度にはなかなか乗れない。ぼくがふだん乗ってるところって、めちゃくちゃ路面がぐじゅぐじゅでコケ蒸した岩が多いんですけど、白井みたいなところは、ぼくんちの近くではないんです。だからぼくらが白井を走りたいと思ったら遠征するしかないんです。でもあっちては、1時間も移動したら別のところがあるんです。走るところが多いってことかな? とにかくたくさんあります。開拓されてないのかもしれないですけど、でも、三重県の山を全部開拓しても、真壁みたいなカラッカラのところは現れないと思います。ぼくが知る限りでは。
だから日本では、三重のライダーと茨城のライダーでは、得意なところがちがう。そういう育ち方をされるんだと思います。ところがスペインは、いろんな地形がとにかくいくつもあるんです。練習場所は、ほとんどスペインでした。よその国も、けっこういろんなところに行きました。練習はスペインでしたけど、この話は、スペインでくくるより、ヨーロッパの話ですかね。
ぐーんとうまくなった実感があったのは最初の何ヶ月かでしたけど、その時点で帰ってきたらどうだったでしょうね。今よりは上手くないと思います。でも国際A級のチャンピオンをとって、翌年いきなりスーパーを走るよりは、スペインへ行った方が、技術面に限っても、ぜんぜんよかったと思います。けどもしかしたら、半年くらいの段階で帰ってきていたら、勢いは一番あったかもしれないですね。
今から思えば、あの頃はアタマのなにかが外れていたような感じがあったかもしれません。日本のアタマじゃなくて、スペインのアタマになってました。こわいなんてぜんぜん思わなかった。ルカ・ペトレーラっているでしょ? イタリアのナンバー2でハイメと仲がいいんですけど、そのペトレーラがびびってぜんぜんやらないやつを、ぼく、どーんとつっこんだんです。そしたら大クラッシュして、なんかかんかと傷めちゃってめちゃくちゃ痛くて、あっちは家の中でも靴で過ごしますけど、靴を履いていられないくらい痛い思いをしました。その2日後、やっぱりペトレーラがこわくて飛べないっていうジャンプがあったんですけど、飛びました。なんにも考えてなかったです。その当時のペトレーラはトライアル2で表彰台争いするくらいの勢いいいやつだったんです。だからぼく、よっぽどびびってなかったんですね。
というわけで、A級チャンピオンは半年向こうに行って修行したらいいと思うんですけど、半年間にどれだけの環境を揃えられるかというと、ちょっと難しいかも。ぼく、タイミングもなにもかも全部含めて、とにかく運がよかったんです。今でもほんとに、すべてが上手いことあたったなぁと思います。当初はハイメといっしょに住むことになるなんて考えてもいなかったし。ヨーロッパに行くのは自分で決めて実行したことです。行ったら行ったで、自分がなんとかすると、そういう気持ちで行ったんですけど、それも含めても、自分をそういう環境に置かせてくれた周囲にも本当に感謝です。自分で計画して敷いたレールは、ヨーロッパに行く、そこまで。そこから先は何もありませんでした。
ふつうだったら、トランポを買うとか、オートバイはどうするとか、そういう準備をしていくんですね。ぼくはそういうのなしで飛び込んだから、反対意見とか、もうちょっと準備して行けよとか、そういう声はありました。なに考えてる、甘く考えすぎだってね。まわりに迷惑をかけることになるぞとか、ほんとにいろいろ言われました。もちろん、その通りなんですけどね。
だから、今でこそ言えるんですけど、よく言えば勢いがあってよかった、ということで、悪く言えばアホっすよね。なにも考えてない。このやり方を後輩にお勧めするかって? いやー、難しいですね。ぼく自身、もう一回やれって言われると、まったく同じふうには絶対できないと思います。だって運も運ですもん。今ヴェルティゴに行ってもハイメはいないですし。

ぼくができて、誰かができないとしたら、それはキャラじゃないかと思います。ぼくとハイメが仲よくなれたのも、キャラの問題だったと思います。努力とかじゃなくて、最初から持ってるものだと思うんですね。もう運命なんだと思うことにしています。
ぼくも思うし、まわりからも言われるんですけど、ひざをケガしたのも、ホンダさんのマシンに乗せてもらっているのも、スペインに行ったのも。
スペインに行きたいって行動していたときにコロナウイルスが出て、行けるかどうかわからないけどワーキングホリデーのビザは取りました。ビザは1年とったのに、コロナがいきなり流行りだして、半年間行けませんとなった。1年のビザの期間中、半年無駄にしたんです。そうこうしてるうち、今から行っても3ヶ月しか滞在できないってなった。本当に行くべきなのかってなって、親にも言われました。それでも行くぞって、飛行場へ行ったら、ほんとにその直前に感染者が出て、突然PCR検査の書類がないと飛行機に乗れないってなってた。本当にがっかりです。これは今は行くなってことやぞ、神様が今は行くなと言ってる、その飛行機は落ちる飛行機だった、くらいに思えと言われて、いったんは納得しかけたんですけどね。
ぼく、なんでもそうなんですけど、とにかく最初が最悪なんです。スペインのことだけじゃない。日本に帰ってきたと思ったらケガですしね。ホンダさんのことも、ぼくにはやっぱり憧れがありましたから、そういうのもあって日本に帰ってきて、そしたらその始まりがケガの復帰です。スペインの時もそんな始まり方で、もうこれは運命がそうなっているのかなと。もしあの飛行機に乗ってスペインに行ってたら、着いて2週間ずっと閉じこめられていたかもしれないし、まったくちがう方向に動いていたかもしれない、て思います。よくない方向かもしれないしいい方向かもしれない。それはわかんないですけど、ただ、今、ぼくはまったく後悔してないです。
去年日本に帰ってきて、全日本のスーパーを初めて走って、開幕戦でケガをして、次の九州で表彰台に乗りました。あの時はまだ、右足の筋力も落ちてなかったのと、あとは冷静に走れた大会だったのだと思います。それが、ちょうど上手いことマッチングしたんだと思います。スペインから帰ってきて、いきなり全日本に出るについては、それなりに自信はあったんですけど、けど、自分としてはまったく歯が立たなかったという評価です。なんでかって考えた時に、それは日本の大会を走る冷静さが必要だったんではないかと思っています。冷静さと、スペインでやってきた勢いがうまいことマッチングしたことで、九州はよかったんだと思います。開幕戦は一番スタートだったし、トップグループとはぜんぜんちがうラインを走ったりして、勢いだけでした。それで自分の思った通りに走ってあの結果です。
九州は後ろから7番スタートでしたけど、しっかり考えて冷静で走れたのと、気持ち的に楽にできたのが大きかったかな。大きなケガでしたから、最悪リタイヤ覚悟で走りました。そういう言い訳ができる大会だった、のかもしれません。だからすごく気楽だったんです。そういうときって、強いんですね。正直、ケガの具合については、九州の時が一番つらかった。ケガしたときより痛かったです。筋力自体はまだ残ってましたけど、どんどん落ちていくんです。どれだけ鍛えても、ふだん無意識に使っていないとダメですね。
ケガをしてからも、スクワットとかをめっちゃやっていました。手術前も手術後も、その時々でやりようがあるんです。筋力は、絶対つけといた方がいい。おかげで、手術した後の回復も早かったんです。お医者さんにも早いと言われました。手術前は、トレーニングの制約もなかったので、バンバンやってました。手術後は、つないだ靭帯が切れないようにしてねって制約ができます。ケガをしてからのシーズン、靭帯切れたまま走ったわけですけど、本当に切れてるの? ってよく言われました。靭帯って、切れてもナイフで切ったみたいなんじゃないんです。レントゲン取ると、鶏肉みたいになってる。ほんとに短い、細い繊維的につながってるんです。だから切れた中にもつながってる繊維みたいのがあるかもしれないんですけど、それが復活することは絶対ない。そこから、どんどん溶けていく感じです。痛いのは、それが切れてるとき、かなと。あぁ、また切れた、新たに切れたって感じです。
本当に、不幸中の幸いだったのは、半月板をやらなかったことです。野崎さんは半月板をやったので、それで痛いんですね。いや、ぼくも痛いんですよ。でも走れないくらいに痛くはなかったんです。野崎さんはぼくより後にケガをして先に手術をしたんですが、走れないから手術するしかやることがなかったんじゃないかと思います。ぼくは走れちゃった。運で言えば、半月板をやってなかったことも、運がよかった、ということだと思います。

手術から開幕まで3ヶ月か4ヶ月。これも、野崎さんより短くなりました。手術をしてからは、ふつうの人だったら1年は安静って言われますね。最低でも8ヶ月。でも、そう言わんと、なんとかしてくださいってお願いして。なんとかしてじゃなくて、出ちゃいますよって感じでしたけど、最後は自己判断でと言われました。あとは勝手にしろよって。
先生に乗っていいと言われたのは4月だったんです。でも4月から乗って4月に大会に出るのはさすがに間に合わないので、3月からリハビリをしながらトレーニングはしていました。手術直後にあらためて決意はしましたけど、手術前から開幕戦は絶対に出るって決めてましたから、それを実践したというところです。手術したのが11月5日、開幕戦には絶対出るって決めていたから、がんばってトレーニングです。おかげで、回復スピードはふつうより2ヶ月くらい早いって言われました。だから5ヶ月目ですけど、7ヶ月目相当くらいということになります。回復もしなきゃいけないけど、オートバイにも慣れないといけない。だからもう乗るしかなかった。それで気をつけて乗ってました。
RTLに乗ったのは1月からですね。2024年は契約がほぼない状態だったんで、12月の段階でちょっと乗っていたからしれない。それで1月に契約をして、その月は8の字から始めました。最初はもうちょっと乗れるんかなと思ってましたけど、無理でした。本当に無理。動かそうと思っても足が動かないです。ただ、手術してすぐ、麻酔から覚めたときには歩けたんです。お医者さんにもほんまかいな、と驚かれたけど、ふつうに歩いていたんです。でもやっぱり、歩くだけでめちゃくちゃ腫れる。それでも歩きなさいって言われました。1週間の入院やったんですけど、散歩も行かなあかんし、でも膝曲がらんし。一瞬、手術せんならよかったとか思いました。それが2月くらい。2月になってもオートバイは8の字レベル、キックでエンジンかけるなんて絶対無理です。足をあげられない。踏ん張っている感じもない。あの感覚はすごかったですね。
そうやりながら、ちょっとずつよくなっていくしかないんですね。ジムへ行って鍛えてリハビリをしてもらって、状況をよくしていって。あの頃、ぜんぜんひざが動かなかったときの動きを0%とすると、今は70%くらいかな? 筋力は60くらい。反対側は120ですね。だってもう、ほぼ全部左でやってるようなもんですよ。右の動きが劣ってるのを、左が支えるんです。トレーニングは右も左も同じでいいっていわれてますけど、やっぱり右はがんばれなくて、その分左ががんばっちゃうんです。手術するまではケガした方ばっかり筋力つけてましたけど、手術した後は右は動かないから左足だけになりました。もう右と左、おもしろいくらいにちがいます。
右と左、両方均等の筋力になったら、と思うことはあります。だってステップに両足乗せてるのに、左足だけ力が強いんです。両足ふっと踏ん張るときも、やっぱり左足しか力が入らない。レッグプレスってトレーニングマシンで足を鍛えるんですけど、左は40で右は20にもならない。半分以下です。それでもよくなってはいます。あらゆる点で、ちょっとずつ。月に2回、腫れ具合、回復具合、筋力のつき方とか、チェックしながらやってます。ぼくがいってる病院は、病院だけどジムもあるしリハビリもできる。100%に戻るのは、1年かかるんじゃないですかね?
ひざを守るニーブレスは、今はしていません。ほんの数日前からやめました。開幕戦ではつけてました。九州の時にはつけていません。やっぱり曲げづらいし、徐々に筋力もついてきたし、テーピングだけで、サポーターもしてません。左にもいれてるふつうのプロテクターだけです。
開幕戦は、ケガからの復帰、新しいマシン、新しい体制といろいろ初めてで緊張していました。やっぱりケガのことが心配でした。ただ、もっとガチガチになるかなと思ったけど、気分よかったし楽しかった。自分の走りができてよかったです。もちろん表彰台狙ってましたけど、表彰台が近いか遠かったかと言えば近かったと思うし、ひざの具合を含めて、これからどんどんどんどん改善していけば、ぜんぜん上位でいられると思っています。まずはキョウセイの結果がワースト記録で、そこからスタートができる、改善すべきものが見えたっていうのは大きいです。そういう改善点は、やっぱり試合でなければ見えてこないです。少なくともぼくはそうです。改善すべきところは、試合慣れとか、そういうようなところです。テクニック的なことももちろんあると思いますし、さらに上手くなることはもちろんなんですけど、それは練習でも補充できます。ぼくの場合は、試合でしか経験できないところが改善のために必要なんじゃないかなと思っています。
今年のアシスタントは加賀国光さんにお願いしています。国光さんはだいたい週1回は来てくれて、練習できています。多気と鈴鹿ですから、そんなに遠くないし。見てもらえばわかると思うんですけど、二人のコミュニケーションもぜんぜんふつうにとれているし、もともと結果を含めてずっと気にしてくれてたので、チームはとてもいい感じです。まだ曲がらないひざで乗っているので、これがちゃんと動くようになれば、ってのもありますし、バイクにも本当に慣れてないです。まだまだバイクのよさを自分のものにできていない、ぜんぜん使えていない感覚を、自分自身が痛感するレベルです。あ、今タイミングをミスった、とか。クリーンできていても、タイミングをミスっていることはあるんです。まだまだです。
バイクは本当にいいので、言い訳はできません。そりゃ、世界チャンピオンと同じバイクで、小川友幸選手が14回もチャンピオンになってるんですから。小川選手について思うのは、やっぱりバイクのことをすごい分かってますね。ホンダの乗り方、4ストの乗り方を見切っています。上位に来るライダーはみんなそうでしょうけど、バイクの特性をどれだけ自分のものにできるか、最大限に活かせるかだと思うんですが、そこはまだまだ。時間が解決していく部分もあると思います。ぼくもこれまでずーっと2ストに乗ってきたし、クラッチもダイヤフラムばっかりでしたから、慣れなきゃいけないところはたくさんあります。どっちかというと、エンジンよりクラッチですかね。今のバイクはほんとにいいんですけど、今はまだ、自分の指が慣れきっていない、というところですね。
もちろん、毎戦勝つ気でいます。でも今年はまずは安定した順位を取って、徐々に徐々に上げていきたいなと思っています。1回優勝して次が7位だったら意味がないと思うんです。それが去年で、九州で3位に入ったけど、あとは全部7位。それよりはずっと4位の方が、という思いもあります。もちろん表彰台、優勝を狙い、さらに安定した順位を取りたいと思ってます。
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武田呼人には、4月20日、モビリティリゾートもてぎで話を聞いた。この日は全日本ロードレースもてぎ2&4レースが開催されていた。このとき、グランドスタンドのすぐ裏で、小川毅士とMFJ仕切りのトライアルデモンストレーションが催されていた。小川毅士と武田呼人のコンビでのデモは初顔合わせ。デモンストレーションはライダーの本業とはいえないながら、トライアル普及や認知推進のうえで重要な活動となるのはまちがいない。重要な活動だが、ライダーとしてデモの訓練を充分に積む場を持てずにいるのが現状。新しい顔ぶれのデモ活動は、トライアルデモ活動の将来を見込んでのものでもある。
デモには、トライアルとあればどこまでも追ってきてくれる熱心なファンの姿もあり、初めてトライアルデモを見て感動しているご家族連れもあった。今、熱心に全日本選手権に通ってくれるファンの中にも、ロードレースの会場でトライアルデモを見て、がスタート地点だった人は少なくない。この日二人の走りを見てくれた人と、全日本の会場で再会できるのが楽しみだ。
